浜田真理子、小泉今日子の
見事なコラボ『マイ・ラスト・ソング』
2011年02月21日
浜田真理子のピアノの弾き語りでさまざまなジャンルのさまざまな歌が歌われていく。流行歌、軍歌、小学唱歌、戦後のアメリカン・ポップス……。曲と曲の間に小泉今日子の朗読が入る。テキストは主に久世光彦さんの名エッセー集である。
久世光彦さん ステージには椅子、ソファ、バーカウンターらしきもののみ。時折、後方スクリーンに矢萩春恵さんの味わい深い書が映し出される。たとえば昭和とか。出演者をしぼり、すべての虚飾を排したこのシンプルさがすがすがしく気持よかった。『マイ・ラスト・ソング~あなたは最後に何を聴きたいか~』(2月11日、世田谷パブリックシアター。構成・演出佐藤剛)である。
「マイ・ラスト・ソング」とはそれぞれの人のそれぞれの臨終の歌というほどの意味だが、生前、久世さんはこの意味にこだわらず好きな歌、思い出の歌のエピソードを書き綴った。その数およそ120篇。その主なものは「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」(文春文庫)で読める。なかでも白眉のひとつは美空ひばり「さくらの唄」(作詞なかにし礼、作曲三木たかし)だが、この日の催しでもこの歌をめぐるくだりがひときわ感動を誘った。
「さくらの唄」は久世さんによると、なかにし、三木という「不良少年が二人、背中合わせにもたれ合って歌った歌だ」という。オリジナルは作曲家自身が歌った。しかし、久世さんはひばりにどうしても歌わせたくて“女王”と膝詰め談判をする。久世さんはこう書き残している。「少なくとも私一人は、あの歌が美空ひばりの〈ラスト・ソング〉だと信じている」と。ちなみにことしは彼女の二十三回忌である。
久世光彦著の
「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」
(文春文庫) この日、とり上げられた歌はどこか感傷性を宿したものが多い。にもかかわらず浜田は実に淡々と歌ってのけた。もっと凝った編曲・演奏だってできるはずなのに、それをあえて避けている風情さえあった。多分、演出の意向もあったのだと思う。しかし、かえってそれがよかったのではないか。
「海ゆかば」で小泉が思わず涙をふいていたが、感傷性を排したからこそほんものの感傷性が浮び上がったにちがいない。
久世さんのエッセーにはかならず歌とともに思い出される人物が登場する。「港の見える丘」では上村一夫さん。いつも間違いだらけのコードでギターを弾きながら歌ったそうだ。「月の砂漠」では森繁久彌。テレビドラマ「七人の孫」の最後の収録が終わった日、シゲさんは100人の関係者とこの歌を歌ったという。
小泉の朗読も虚飾を排しながら巧みに歌に寄り添っていた。添景人物が活写されたのはそのせいである。
2011年02月21日 17:00
コメント
2月11日、降りしきる雪の中をお越しくださいまして、ありがとうございました。
感傷性を排し、虚飾を排して、だからなのですね。
浜田さんと小泉さんは巫女になったように、あの世とこの世をつないでくださって、私はふんわりその世界に入り込んでいました。
もういなくなった人たちが次々に現れ、笑いかけてくれて、しあわせな時間でした。
投稿者 久世朋子 : 2011年02月22日 05:00