気紛れDIARY
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ことしの夏もそろそろ終わりに近づきつつあります。2005年8月は、あの戦争(太平洋戦争、大東亜戦争など名称ひとつとっても統一されていません)が終わってから、具体的にいえば日本が完膚無きまでに打ちのめされてから、丸60年たったということで、さまざまな顧回行事が行われたようです。マスコミ上でもいろいろな論議が交わされました。

敗戦60周年ということは、1945年(昭和20年)に生まれた赤ん坊が還暦を迎えるということに等しいわけです。当然ながら45年生まれの人たちには戦争体験がありません。主食は配給制度、いつも空きっ腹を抱えていた戦中戦後の食糧事情を知ることもないでしょう。45年生まれ以降の“戦争を(戦後さえも)知らない子どもたち、ならぬおとなたち”が圧倒的多数を占めているのがわが日本の現状です。

昭和20年8月15日、私は国民学校と改称されていた小学校の6年生でした。昭和天皇の玉音放送は、疎開先の静岡県駿東郡高根村(現、御殿場市)の学校校庭で耳を済ませて聞きました。空は青く晴れ上がっていました。高根村では校長先生をはじめとして、「日本人が最後のひとりとなるまで戦おう」と誤って聞いたおとなたちは、幸いいなかったようです。

ついきのうまで大平洋上の航空母艦から飛び立ったグラマン戦闘機が、この山村にまで飛来し機銃掃射をおこなうこともしばしばでした。

警戒警報のサイレンが鳴り響き、学校からあわてて帰途につくと、グラマンが頭上にやってきて機関銃をぶっ放されたこともあります。ふと見上げると、飛行士の顔が間近に迫って見えました。銃弾が私のからだの横1メートルほどのところを土埃を立てて通り過ぎて行きました。

今(日本時間8月24日午前11時21分)、私はこの原稿をニューヨークからの帰りのアメリカン航空167便の機内で書いています。もし60年前、グラマンにやられていたら、こうしてアメリカン航空に乗っていることもないでしょう。アメリカの旅客機だけに、特別の思いに囚われずにいられません。

1965年、最初にアメリカを訪れてから、この国と日本の間をなんど往き来してきたでしょうか。暇なとき古いパスポートを一堂に集め数えてみたいと思います。100回近く、いや100回を超えているかも。

こんなに往ったり来たりしたのは、多分、アメリカと性が合うんでしょうね。戦争で痛めつけられた(原爆をふたつも落とした国ですよ)アメリカが好きになるなんてどうしてと、時折考え込んでしまいます。

確かに日本は戦争でアメリカに痛めつけられました。しかし、戦後の日本にそのアメリカがもたらしてくれた解放感、これはまた格別のものでした。戦前、戦中の日本の小学校では天皇皇后両陛下の“御神影”に参拝することが、毎朝、義務づけられていました。あの強制的行事から解放されただけでも、どんな伸び伸びした気持ちを味わえたことか。

この8月、私は2週間ニューヨークについて、休暇とはいえブロードウェイの劇場に通ったり、ショウ・ビジネス関係の人たちと食事をしたり、大いに有意義な日々を過ごしました。その間に敗戦記念日の8月15日(アメリカ時間では14日)もありました。この時期、アメリカにいると、どうしても考えずにいられないのは、これだけ強大な国力を有するアメリカと、なぜ戦争を始める気を起こしたのかということです。石油資源などエネルギー問題で日本が追い詰められていたのも事実です。しかし、日本が帝国主義的野望を近隣諸国に対しむき出しにしていたことも間違いありません。日米国力の差を認識し得ず、していたとしても開戦に踏み切り国民を悲惨のどん底におとし入れた当時の国家指導者の責任は、免れ得ないでしょう。

私の付合っているショウ・ビジネス関係者はユダヤ系、民主党支持者が多く、誰もがブッシュ大統領を好戦的と思っています。ニューヨーク・タイムズの論調もおおむねそのようです。友人知人やニューヨーク・タイムズに影響されたのか、この2週間、私はかつての日本の指導者たちとブッシュ大統領を重ね合わせずにいられませんでした。

 

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ニューヨークの街角から

2005年08月17日

 

ニューヨークに来ています。去年の3月以来ですから1年5ヶ月ぶりということになります。この街の沸き立つような創造的エネルギーから刺激を受けたくて、少なくとも年に2度は訪れたいと思っているんですが、今回は少し間が空いてしまいました。

真夏にこの街を訪れていちばん困るのは、必要以上に冷房がきき過ぎていることでしょうか。私なんか長袖のシャツにジャケットといういでたちなのに、震え上がってしまう。

しかしアメリカの男性たちは、ポロシャツ1枚、二の腕丸出しで平気なようです。とどのつまりは皮下脂肪の体積量の違いでしょう。というわけで劇場でもレストランでも冷房が絶えず気になって仕方がありません。

もうひとつニューヨークで気になってしまうのは、異常なほど太っている人が目につくということです。端的にいって肥満体の人がやたらと多いように思えるのです。もしかするとファーストフード、あるいはジャンクフードの食べ過ぎではないか。ここで特定ブランド名を口にしたら訴訟を起こされかねないので、口が裂けても沈黙を守りますが。

ブロードウェイのミンスコフ劇場へ「屋根の上のヴァイオリン弾き」を見に行った夜のこと。私の左隣のもうひとつ左隣に、席ふたつ分とってもまだはみ出してしまうほどの巨体の中年男性が座りました。とたんに、真うしろのあたりの女性客が悲鳴に近い叫び声を上げました。「どうしよう。舞台が見えなくなってしまうわ。」割合小柄な人たちだったので、同情を禁じ得ませんでした。前々から100ドルも切符代を払って、今日という日を楽しみにしていたでしょうに。太っている人は劇場へ来てはいけないなどとは申しません。でも切符を買う時、周囲の人たちに迷惑をかけない席を選ぶという配慮くらい、あってしかるべきでしょう。この日もほかに肥満体の観客がいないわけではありませんでしたが、いちばん端の席とか気配りを見せていました。

そうそう、私の隣の隣の客は休憩時間に立ち上がりもしなかったし、私がじーっと観察したところでは、観劇後も大半の客が捌けたのち、連れの3人の女性によいしょとばかり引っ張り上げられ、やっとのことで立ち上がるという始末でした。アメリカという国は冷房でも肥満でもどこか度を越したところがあるんじゃないか。これが私の偽らざる感想です。東洋では「過ぎたるは及ばざるがごとし」っていいますよね。

カーネギー・ホールが目の前の7番街57丁目の角で加山雄三さんとばったり会ってしまいました。彼とは1966年に「君といつまでも」が大ヒットしたときぐらいからの知り合いです。なんでもこの秋にカーネギーでワンマン・ショーをやるとかで、今回はそのパブリシティ取材のためにきているとのことでした。差し詰め「ニューヨークの若大将」ってところでしょうか。街ゆく日本女性が目ざとく彼を見つけ、次々にツーショットの申込みをしていました。

1968年でしょうか。加山さんのキャンピングカーでロサンゼルスからラスヴェガスまで、ひと晩かけてドライヴしたことがあります。彼も私もロスにきていて、ヴェガスの山奥でクレー射撃をやるという“若大将”に同行したのです。「随分ご無沙汰でしたね。ラスヴェガス以来じゃないですか。」といっていましたが、そんなことはありません。帝国ホテルで開かれた芸能生活30周年かなにかのショーでもお会いしてますよ。ことしは加山さんがこの道に入って45周年とのこと。カーネギー・コンサートもその記念イヴェントの一貫と聞いています。クラッシックの殿堂に「ぼくはしあわせだなぁ」というあの科白がこだまする瞬間を想像すると、なんとなく愉快になってくるじゃありませんか。

※ここからは撮ってきた写真のご紹介です。

 「Monty Python’s SPAMALOT」の劇場の前で。今、いちばん大当たりの“お笑いMusical”です。 

 ブロードウェイの一角、シューバート横町で。 

日本レストラン「Nobu」がニューヨークで三つ目の店を57丁目に開きました。予約をとるのが大変なほど大当たりしています。Edamameが大人気です。

 

09:52 | コメント (14)

真夜中、聞くともなくRosemary Clooneyのスタンダード・ジャズ・ヴォーカルを聞いていたら、突然ぐらぐらときました。すぐさまテレビをつける。こういうときはやはりNHKですね。しばらくして震源地は神奈川県沖、神奈川・東京でマグニチュード3〜4と出ました。8月7日午前1時5分の出来事です。その時放映されていた番組は「坂本九・上を向いて歩こう/世界的ヒット誕生秘話」というドキュメンタリーものだったんですが、地震がきっかけでそれから約1時間、充実した内容に引かれ、とうとう、おしまいまで見てしまいました。

「上を向いて歩こう」が「Sukiyaki」の題名で全米ヒットNo.1になったのは1963年のことです。実はアメリカで大ヒットする前にイギリスでレコーディングされているんです。歌なしのインストゥルメンタル。演奏したのはトランペット奏者Kenny Ball率いるデキシーランド・ジャズ・バンド。番組のなかにホステス役、九ちゃんの次女・舞子さんがこのジャズマンを訪ねる場面があったんですが、時空を超えたふたりの出会いが、実にハートウォーミングで、思わず引き込まれてしまいました。

このご対面のなかでKenny Ballが明らかにしたところによると、「スキヤキ」と名づけたのは、往年の人気歌手Petura Clarkなんですってね。ふたりがロンドンの中国料理店で食事をしたとき、Kennyが「こんど日本の曲を吹込むことになった。」というと、Peturaが即座に「スキヤキ」というタイトルを提案してくれたんだそうです。Peturaの大ヒット「Down Town」は1964年ですから、多分それ以前の話でしょう。

この番組では、ほかにもいくつかの知られざる事実が紹介されていました。 なかでも面白かったのは、KORDというラジオ局のDJ、Richie Osborneという人が明かしたとっておきの秘話です。このDJこそアメリカで初めて坂本九の「上を向いて歩こう」を電波に乗せた人物なんですが、そのときはまだアメリカ盤は発売されていませんでした。彼は日本盤でオンエアしているんです。たちまち大きな反響があったんで、キャピトルに是非、アメリカでも発売するよう強く働きかけたというんです。なぜキャピトルか?「上を向いて歩こう」の日本での発売元・東芝音楽工業(現、東芝EMI)と提携していたからです。

ところで、このDJが「上を向いて歩こう」のレコードを入手したいきさつが、また興味深い。あるリスナーが日本のペンフレンドからElvis Presleyのレコードと交換にもらい、それを局に届けてきたらしいんですね。ゴールド・ディスクの裏側にはいろんなエピソードが隠されているものだと、先ほどの地震を忘れ、深夜ひとりで感心してしまいました。

8月12日は、九ちゃんの祥月命日です。改めてご冥福をお祈り致します。

★1963年夏、「スキヤキ」大ヒットの折、キャンペーンのため渡米することになった九ちゃんについて、週刊朝日の同年8月9日号にインタビュー記事を書いています。古いコラムですが、当時の状況を知る一端になると思います。

 

10:52 | コメント (3)

a-nation'05 powered by Weider

2005年08月02日

 

エイベックスの総力(アーティストもスタッフも)を結集した夏の最大級イベント、a-nationが始まりました。ことしは大分市からのスタート。7月30日、ビッグアイでおこなわれたこの催しには38000人からの観客を集め、大きな盛り上がりを見せてくれました。人口約445000人の都市で、これだけの人たちが押し寄せたのですから、ちょっとした驚きです。もちろん福岡市あたりからも相当な数のお客様が駆けつけたと思いますが。

トリの浜崎あゆみ、全身にエネルギーを漲らせ凄い迫力だった。私がこの2年間に聞いた彼女のライブでは最高の出来だと断言したい。特に、高音の見事な張り。こちらの胸にズンズン響く。単なる歌手を越え、Vocalistと呼びたいくらいの存在感を示してくれました。コンサート終了後、そのような感想を松浦勝人さんに伝えたら、本人は必ずしも体調がよくないといってはいたけれど…ということでした。もしそうだとしたら、それなのになお、これほどの力を発揮するのだから、ますます凄い。コンコンと湧き出ずるトップ・スターならではの生命力!今はやりの“なになに力”という云い方をすれば、これぞスター力でしょうか。

avex 荒木隆司 上級執行取締役と
a-nation girl。
とくに美しくデコレーションしたフォークリフトに乗り、満員の観衆に手を振りながらのスタジアム一周は、この夜の最大の見物でした。TRFのパフォーマンス、決して若いとはいえない彼等ですが、じゅうぶんに底力を発揮してくれました。とりわけサムの切れのいいダンスは絶品!もちろん、このグループのダンスの振付はサムでしょう。近ごろはしろうとでもストリート系ダンスを踊るけれど、彼のは本物です。実にキレがいい。いや、いいなんてものじゃない。一種アートの境地に達している。サムはこのジャンルの最高の振付師兼ダンサーです。

Every Little Thing。私は彼等の演奏にすこぶる好感を持った。持田香織のヴォーカル、ああいう超大の会場でスローテンポのバラッドを歌っても、きちんと客席にまで届く。つまり、歌にそれだけ説得力があるということ。井上陽水の曲をカバーしているそうですが、私は聞きながら、60〜70年代のアメリカのフォーク、Joan Baez、Peter,Paul&Maryを歌ったらどうかな?と思った。Simon&Garfunkleも是非。コンサートでそんな試みをやってくれないかな。ギターの一郎さん、癒し系の声ということで、お喋りが受けている。ひと声聞いて納得しましたよ。

さて、あとは余談です。大分に行ったのは30年ぶりなんですが、空港〜大分市内のハイウエイのよく整備されていること。なだらかな山との緑が眼の保養になる。スイスイ走れて往復とも快適なドライヴでした。

走りながら、橋の多いのに改めて驚く。この地域での工事とは直接関係がないのでしょうが改めて日本道路公団の橋梁壇合事件に思いを馳せました。8月1日、同公用金子恒夫理事が独占禁止法違反幇助、背任の疑いで逮捕。内田道雄副総裁に続いて、逮捕者が出るわけです。私は一泊して31日に帰宅したのですが、ホテルをチェックアウトする前に、地元の百貨店トキハの地下生鮮食品売り場をのぞき、今が旬の関鯖を一本買って帰りました。高かった。3900円もしました。帰宅後、早速、軽くしめサバに。身がよく引き締まっていて頬っぺたが落ちそう。頭や中落ちはあっさり煮て…。合わせた白ワインは、フランス・ロワール地方のSavenmieres Roch-aux-Moines2000。さわやかな白で、関鯖とはぴったりでした。

 

18:59 | コメント (2)

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