気紛れDIARY
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高校同級生、井口紀夫

2005年09月29日

 

朝、ベッドでぐずぐずしていたら、家内がやってきて、「さっき高校の同級生の南條さんって方が電話かけていらっしゃって、井口さんが …」
 ぜんぶいわせず、とっさに「死んだのか?」という言葉が飛び出しました。体調すぐれず入退院を繰り返していたのを知っていたからです。昨今、ほとんど往き来はなかったのですが、春ごろ、ふと思い出して電話をし、お喋りしたことがあります。終生、独身だったはずなので、なにか困っていることはないかと尋ねると、「ヘルパーさんがきてくれてるし …」とのこと。
 更に高校時代の共通の友人の名前を挙げ、「あいつにエロ・ビデオを持ってきてもらってるんだ。でも近ごろ傑作はないなぁ」とわざわざこちらのヒンシュクを買うような露悪的な言葉を口にする始末です。
本人の名誉のためにいっておきますが、もちろん、これは彼一流のレトリックです。

この友人の名前は井口紀夫。1949年、彼と英語のクラスで出会った日のことを今でも忘れられません。教科書を読む英語の発音が日本人離れしていたというか、ほとんどアメリカ人かイギリス人か、ネイティヴ・スピーカーそのものだったんです。
 今なら私だって彼の英語がアメリカ英語かイギリス英語か区別がつきますが、当時はその区別がつかなかったので、井口君の英語がそのいずれであったかが、わかりませんでした。ともかくほんものの発音だったことは間違いありません。
 そのころ私は、勉強の合間に占領軍向けラジオ放送WVRをよく聞いていましたが、そこから流れる英語とまったく変わりありませんでした。そういえば井口君の顔立ちは、英語の発音同様、西洋人臭く日本人に見えないところがありました。

実は井口君は、父上、貞男氏が外交官で幼少をアメリカで送っているんですね。父上は、1941年12月8日、太平洋戦争勃発前後、ワシントン駐在参事官として対米交渉の真只中で苦労されたはずです。井口君は、開戦前か開戦後かそこまでは知りませんが、いわゆる交換船で帰国したと聞いています。

ふたたび英語の授業の話に戻りますが、井口君は先生に文法の問題で突っ込まれると、すぐに返答ができないこともありました。本当のアメリカ人が文法にくわしくないのと同じでしょう。そんな彼を傍目で見遣りながら、私は、心中密かに溜飲を下げたものです。

高校時代の井口紀夫君の思い出ふたつ。
 ひとつは、アメリカのプロ野球チーム、サンフランシスコ・シールズが来日し、日本チームと対戦したとき、その試合を見に神宮球場に連れて行ってくれたことです。シールズは米大リーグのチームではありませんでしたが(スリーAかなにか)、アメリカ・プロ野球チームの初来日ということで、日本中がかなり騒いだものでした。
 当時、井口君の父上は、心ならずも外務省を離れざるを得ず、大洋ホエールズだかどこだか日本のプロ野球に関係しておられ、そんなことから息子のところにも切符が回ってきたのだと思います。
ちなみに「現代風俗史年表」(河出書房)で " シールズ来日" を調べてみたら、1949年10月12日〜11月6日 と出ていました。56年昔のことなんですね。

もうひとつの思い出は、中原中也という詩人の存在を教えられたことです。ある日、学校の昼休みにこんな話をしてくれたんです。
 「きのう、文学座のアトリエってのにいってきたんだ。四谷にある稽古場でやる勉強会みたいなもんだよ。そこで芥川比呂志って俳優がさぁ、龍之介の息子だけれど、中原中也の詩をいくつか読んで聞かせたのさ。ほら、こんなふうに …」
 一杯引っかけたような調子で有名な、あの「お道化うた」の一節を口ずさんでくれたのでした。私は芥川比呂志という俳優を知りませんでしたが、目の前にその姿が浮かんでくるような錯覚に捕われました。

シュバちゃんかベトちゃんか、
 そんなこと、いざ知らね、
 今宵星降る東京の夜、
 ビールのコップを傾けて、
 月の光を見てあれば

シュバちゃん、ベトちゃんとはシューバートとベートーヴェン(中原はベートーヱ゛ンと書いています)のことです。蛇足ながら。

井口君は、生業はジャーナリストでしたが、本質は詩人でした。詩集「カリプソの島」「カリプソ ファイルズ」を上梓しています。「ファイルズ」にはノーベル賞詩人T・S・エリオットの宗教観を主題にした長篇詩がのっていますが、とても難解で私には歯が立ちません。そういえば、最後に電話で話をした際、エリオットの詩集を基にしたミュージカル「キャッツ」に触れてこんなことを言っていました。「一見、子ども向けの詩集に見えるけれど、あれは当時のイギリスの詩壇を風刺したものなんだ。村の長とかいろいろな猫が出てくるだろ。それぞれあのころの詩人に当てはまるんだよ」

井口紀夫著/詩集
「カリプソ・ファイルズ」
最後に「ファイルズ」から彼のプロフィールを引用しておきます。

★井口紀夫
1932年上海で外交官次男として生まれ、アメリカと日本で教育を受けた。慶大英文科大学院MA。時事通信に入り、外信部記者、ワシントン特派員、英字誌「パシフィック・コミュニティー」編集長を務めた。詩集に「カリプソの島」(1957年)。両親はカソリック。 

 

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土曜日のソワレ、日曜日のマチネと2日続き、しかも2本とも渋谷でシェイクスピア関連の舞台を見ました。断っておきますが、ふたつともシェイクスピアの芝居そのものではありません。1本は井上ひさし作「天保十二年のシェイクスピア」(蜷川幸雄/演出、宇崎竜童/音楽、シアターコクーン)。講談「天保水詳伝」と「ハムレット」「オセロ」「ロミオとジュリエット」などのシェイクスピア作品をミキサーにかけ、ぐわーっと回した井上風カクテル?バーテンダーはもちろん蜷川さんです。おもしろいところ、どきっとするところと複雑な味わいですが、正味3時間40分、飲み干すのに時間がかかるのが難でしょう。

「ドレッサー」の楽屋で
平幹二朗さんと。
もう1本はイギリスのお芝居「ドレッサー」(ロナルド・ハーウィッド作、松岡和十/訳、鈴木勝秀/演出、PARCO劇場)。ドレッサーとは付き人のことでシェイクスピア劇専門の一座の座長(平幹二朗)と付き人ノーマン(西村雅彦)の虚々実々のかけひきが見ものです。

「天保十二年のシェイクスピア」は大変豪華なキャストでした。唐沢寿明、藤原竜也、篠原涼子、夏木マリ、高橋恵子…。それぞれ個性を競い合っていました。興味深かったのは高橋、夏木の役どころ。姉妹なのに敵対関係にあるんです。さすが演技派のふたり、この難役を丁々発止とやり合っていました。唐沢も、容姿はみにくいが頭の回転は人一倍という敵役を見事に演じ切っていました。

夏木マリさんの
六本木のお店
「つるとんたん」の
前でワイフと。
夏木マリさんといえば、最近六本木交差点のほど近くに関西風のうどん屋「つるとんたん」を開店しました。私のおすすめは「紀州梅干しのおうどん」800円です。

ところで「ドレッサー」。出番が近くなると座長が儀式のようにかならず繰り返すおまじないが出てきます。楽屋から廊下に出てぐるっと3べん回り、扉をとんとんと叩いて部屋に戻ってくるというものです。名優といえども出番となると不安なんでしょうね。
 終演後、楽屋で平さんと久々にご対面。
「あの座長のおまじないのところを見ていて、ふとコーちゃん(越路吹雪)を思い出しましたよ。彼女は舞台袖で背中に虎という字を書いてちょうだいといったそうですよ。岩谷時子さん(作詞家で越路のマネージャーでもあった)が、ハイ虎ねと指で書いたんだそうですよ。」
 平さんと越路はミュージカル「結婚物語」で共演した間柄でしたが、
「へーえ、それは知らなかった」
と平座長。そこで私が、
「平さんにはその種のおまじない、なにかあるんですか」
と尋ねると、
「とくにないなぁ。そうだなぁ背中に書いてもらうのなら、お金かなぁ…」

「ドレッサー」は企画製作パルコ、主催TOKYO FMですが、平さんは自主製作でしばしばシェイクスピア劇に挑んでいます。多分その都度、製作費の調達が大変なんでしょうね。おまじないの文字ならお金というひとことに、演技に賭けるヴェテラン俳優の並々ならぬ裏の苦労がしのばれるように思えました。

★ 「つるとんたん」
〒106-0032 東京都港区六本木3-14-12
TEL:03-5786-2626
http://www.tsurutontan.co.jp/

 

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2日間、人間ドックに入り、始めてPET検査というものを受けてきました。人間ドックのなかでは最先端の検査だそうです。ペットといっても皆さんの可愛がっているワンワンやニャンコとはまったく関係ありません。今、私は日本核医学会発行の「PET検査Q&A」というパンフレットをかたわらに置き、この原稿を書き始めたところですが、正直いってチンプンカンプンな事柄ばかり。

PET-CT検査が始まるところ。PETはPositron Emission Tomography の略で、Positronは陽電子、Emissionは放射、放射物質、Tomographyは断層撮影のことだそうです。心臓や脳を輪切りと、縦切り両方の断層画像で撮影し、病因、病状を把握する。とまぁ、そういうことらしいんですが、陽電子そのものからよくわからないので、説明はこの辺にしておきます。
 注射を打たれ、寝台に寝かされたままトンネルに入れられること20数分。ガーッという音が耳栓をしているにもかかわらず、かなりすざましい。もっとも私は、鈍感なせいかそのうちに眠り込んでしまいましたけれど。
 採血中です。さて結果は?歳が歳ですから、それ相応にくたびれている箇所はいくつかあるようですが、お陰さまで即治療、投薬を要する症状は見つからず、ほっとしました。
 先ほどから私はPET検査と書いてきましたが、正確にいうとPET・CT検査なんです。PETとCTが組み合わされた装置のなかで、両方の検査を同時に受けるということのようです。
 CTすなわちComupted Tomographyについては、すでにご存知の方が多いと思います。ちなみにCTを検索したら微細構造観察用超高分解能装置と出ていました。ああ、ややこしい。
 私がこのPET・CT検査を受けたのは、四谷メディカルキューブという病院です。ここの検査技師さんによると、このPET・CT装置を備えている病院・診療所は全国で30から50ぐらいではないかという話でした。

Anti-Aging Plate。
外から食べに行くと¥2,500。
ところで、私が世にPET検査なるものがあるのを知ったのは、この5月、軽井沢の人気フランス料理店エルミタージュ・ドゥ・タムラを訪れたときのことです。このレストランの、店主兼シェフの田村良雄さんが作る料理は重からず軽からず、繊細にして繊細過ぎず、豪華にして豪華過ぎず、私たちの舌を心ゆくばかり楽しませてくれます。
 ご主人の田村さんとは、彼が西麻布でお店をやっていたときからの知合いですが、マダムの久美子さんとはここで始めてお会いしました。ご主人が軽井沢に店を構えてのちマダム業を始められたらしいんですね。
 実は、初対面のマダムと、そのときこんな会話を交わしました。
「マダムはもともとなにをしていらっしゃったんです?」
「レストランとはまったく関係ない仕事をしていました。でも日々、よく存じ上げない方々と接するということでは似ているかもしれませんね。」
「なんだろう?謎々だなぁ」
 彼女の以前の職業は病院の検査技師とのこと。確かに毎日、見知らぬ人を相手にするという点では共通点がありますね。私が知ったかぶりをしてCTとかMRI(磁気共鳴断層撮影)とか、あれですかと尋ねると、
「今、いちばん進んでいるのにPETっていうのがあるんですよ」
 という話になりました。この会話がきっかけで、私の頭のなかにPETという単語がしっかりとインプットされたのでした。
 緑に囲まれた一軒家のフランス料理店(以前は「雁の寺」「越前竹人形」「金閣寺炎上」の作家、故水上勉さんの別荘だったそうです)で、最新医療の話とはミスマッチだろうって。ミクニ マンスルーの
厨房に立つスーシェフ
竹内恵美さん。
いやいやマダムの巧みな対応のせいか違和感がなかったどころか、もしマダムとのこのやりとりがなかったら、PETに関心も持たなかったし、今回の検診を受ける気にならなかったかもしれません。
 人生は不思議なところでリンクしているものです。
 フランス料理といえば四谷メディカルキューブにはミクニ マンスルーというレストランが入っていて、検査後にここでランチがサービスされます。低カロリー、食物繊維、ベータカロチン、ビタミンCをたっぷり含んだヘルシー料理です。魚、肉料理もあるものの野菜中心、検査のあとのほっとひと息つきたい頃合に食べるにはもってこいでした。
 店の名前からも伺えるようにこの店は、カリスマ・シェフ三國清三さんの「オテル・ドゥ・ミクニ」の姉妹店です。診療、検査を受けにきた人ではない一般客も食事ができます。 

★「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」
長野県北佐久郡軽井沢町820-98 TEL:0267-44-1611

★「四谷メディカルキューブ」
東京都千代田区二番町7-7 TEL:03-3261-0401
http://www.mcube.jp/

★四谷メディカルキューブにあるレストラン「ミクニ マンスルー」
TEL:03-3261-0444

 

13:55 | コメント (6)

小澤征爾さんが、富士重工から寄贈されたスクーターとともに貨物船でヨーロッパに向かったのは、1958年、23歳のときのこと。ヨーロッパでは重工との契約によりスクーターの後部に日の丸の旗を立て、各地を走り回ったそうです。当時、お金のない若者が海外留学するというのは、それほど難事だったんですよ。その時の体験談は本人によって「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫)という本にまとめられています。

バースデイ・ケーキの
ローソクを
吹き消す
小澤征爾さん
そのマエストロ・オザワが、なんと70歳を迎えました。1935年9月1日、中国奉天(現、瀋陽)生まれですから、そういう勘定になります。というわけで、この9月1日、サイトウ・キネン・フェスティバル松本(総監督 小澤征爾)が開催中の長野県松本市で70歳祝賀チャリティ・コンサートがおこなわれました。
 大きなハート型の
バースデイ・ケーキ
出演者は、サイトウ・キネン・オーケストラ有志、和太鼓の林英哲、ジャズのマーカス・ロバーツ・トリオなどいろとりどり。なかでも兄貴分を任じる指揮者、チェロ奏者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチさんが、のっけにショスターコヴィッチ作曲「祝典序曲」を指揮し会場を盛り上げたのが、強く印象に残りました。そうそう舞台、客席合同の「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」の指揮も彼でした。それどころかバースディ・ケーキをのせたワゴンをステージから片づけるのまでやっていました。なんと微笑ましいこと!

ちなみに、この大音楽家はあと2年で80歳を迎えるはずです。旧ソ連の圧政にもめげず、よくぞ生き延びたものだと感心させられます。舞台上でふたりのマエストロはなんどもなんども肩を抱き合っていました。

出井伸之さんと当日、15時ちょうど発のスーパーあずさに乗るべく新宿駅の中央本線に通じる階段を上がっていったところ、数段上の紳士が振り返ったと思ったら、「おや、安倍さん」相手がサングラスだったので0.5秒戸惑ったものの、すぐさまこちらも「おや、出井さん」なんと奥様同伴の出井伸之さん(ソニー最高顧問)でした。
 出井さんとは1971年11月、パリでお会いして以来のお付合いです。当時、彼はソニーのパリ駐在でした。といいつつもワンマン・オフィス。電話とテレックスしかなかったと思います。世界のソニー(今日はやたらと“世界の…”が出てきます)にもそんな時代があったんですよ。
 出井さんとの交遊についてはわんさと楽しい思い出があるんですが、それはさて措き…。
 もちろん同じ日、同じ時刻の列車に乗り合わせるというのは、出井夫妻も小澤さんの誕生日コンサートに出掛けるということです。
 「出井さん、確かマエストロとは学校がいっしょ…」
 「うん、成城学園中等部でカルテットやってたの。向こうがふたつ上の三年生でピアノ、一年生のぼくがヴァイオリン弾いていた。でも彼、中学を卒業すると桐朋(音大)の附属高校に転校してしまったので、たった1年だけだったけど」
出井さんご夫妻 出井さん、かたわらの晃代(てるよ)夫人のほうを向いて、同意を得るように、
 「中学生で二年上っていうと、うーんと離れているみたいに感じるんだよ、ね」

出井さんとは久しぶりのせいか列車のなかで大いに話が弾みました。そのなかからひとつだけ紹介します。出井さんとだと、ついソニーの創業者のひとり盛田昭夫さんの思い出話になるのですが、出井さんがこんなとっておきの話を聞かせてくれました。
 あるとき盛田さんと出井さんは、こんな会話を交わしたんだそうです。

「盛田さんもいろいろ失敗されたことおありですか?」
「もちろん、そりゃあいっぱいあるよ」
「なんですか、最高の失敗は?」
「飛行機のなかで自分の失敗を書き出して、そのメモを座席に置き忘れてきてしまったことさ」

多分、ふたりでワッハッハッハ…と大笑いしたんでしょうね。
 出井さんもいっていましたが、ミスター・モリタは日本人とは思えないsense of humourの持ち主でした。

私も、盛田さんのユーモア精神になんどか微笑を誘われたことがあります。いやむしろ煙に巻かれたといったほうがいいかも…。
 東京文化会館でなにかクラシックのコンサートがあったときのこと。開演前にロビーでお喋りしていて「盛田さん、次から次へ新製品、出さないで下さいよ。お金もないし家もせまいし」と、つい私がこう口を滑らせると、
「いや、だからね、こんどうちは紙っぺらを売り出すことにしたんだよ。」
 ソニーが1979年、米国ザ・プルデンシャルと合辧で保険会社を始めたころの話です。きっと国際人の資格のひとつはユーモア精神なんでしょうね。

松本駅から小澤コンサートの会場まで出井さんの車に便乗させてもらいました。車種はなんだったか忘れたけれど、車内のオーディオ・ヴィジュアル機器の素晴らしさに打ち震えました。イーグルスのライヴ・コンサートのDVDでしたが、音がまずこの世のものとは思えない。画像もきわめて美しい。試作品ということですから、そのうち売り出されるのかな。
 あの音響と映像は松本の澄んだ空気のせいだなんて、もちろんそんなことあり得ませんよね。

 

11:42 | コメント (1)

a-nationが終り、それとともに夏も過ぎ去ろうとしています。神戸の会場で沈みゆく夕陽を目の当たりにしましたが、なんと赤く大きかったことか。

a-nation'05のラストを飾る
神戸空港北会場で観客の
みなさんと
a-nationといっても、私と同世代のいい歳のおとなたちにはチンプンカンプンかもしれません。私自身、2年前までは同類でした。
 a-nationは富士ロックフェスティヴァル、ロックインジャパンフェスティバルと並んで夏の三大音楽イヴェントのひとつです。エイベックス・グループの主要アーティストが結集する超大型コンサートとでもいったらいいでしょうか。ことしは大分、札幌、名古屋、東京、神戸で計7回おこなわれ、24万4,500人の観客が押し寄せたということです。

avex 千葉龍平
代表取締役副社長、
TRFのCHIHARUさんと
8月28日、神戸空港北会場での最終日を見た感想をいくつか。思わず目を見張ってしまったのは倖田來未。この季節なのに従えたダンサーともども、くるぶしまであるロングコートで登場し、いいタイミングでぱっと脱ぐ。現れ出でたるはスレンダーな肢体。衣装の露出度がかなり高くドキリとさせられます。ここの演出、振付、衣装のセンスはかなり優れていると思いました。ショウはこういう乗りでなくっちゃあ。
 倖田の歌はいい意味で“歌謡曲”だといったら誤解を招くでしょうか。斬新なリズムが刻まれていますが、メロディラインは日本的schmaltzとでも呼びたい感傷性が滲み出ています。Jポップのなかにもよき歌謡曲の伝統が受け継がれているというのが私の感想です。

TRFのパフォーマンス、これが圧巻でした。大分の初日ではサムのソロがやや突出していましたが、神戸ではサムだけでなくグループ全体として盛り上がっていました。

TRFのSAMさんとトリは当然、浜崎あゆみ。圧倒的なpresenceです。他のアーティストにはない気魄がある。DNAもあるんでしょう。でも、研鑽の成果でもあるにちがいありません。浜崎といえば打ち上げパーティで「来年は気志團のバックダンサーとして出ます。」といっていたのがおかしかった。見事なWIT!
 8月21日の東京、27日の神戸とふたつの公演に気志團がゲスト出演したのですが、そのステージから浜崎はなにか感じとるものがあったのでしょうか?

BoAさんと神戸山手の中腹にあるフランス料理の老舗・北野クラブ、それも新しく建てられた素敵な別棟を借り切っておこなわれた打ち上げパーティには、スポンサー、出演者、スタッフが一堂に集い、夜を徹しての饗宴となりました。この店の料理、美しい夜景は定評あるところですが、この日の目玉はOPUS ONE 2001だったといっていいでしょう。OPUS ONE 2001と。カルフォルニアのRobert Mondavi、ボルドーのBaron Philippe Rothchildと、米仏の名門醸造元が手を携え作り出した赤ワイン、香りの高い、こくのある名醸酒です。めったに口にすることができない世界的ワインが飲めて、私にとっても限りなくしあわせな一夜でした。

ところで、ことしは阪神・淡路大震災から10年目ということです。タクシーに乗ると運転手さんに、ついあの朝のことを尋ねてしまいます。町並みがもとの美しさをとり戻したのはうれしい限りです。しかし、併せて亡くなられたかたがたのご冥福を祈らずにいられません。

 

14:26 | コメント (1)

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