気紛れDIARY
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こういう顔合わせをゴールデン・コンビというんでしょうね。役者としての腕、ボックス・オフィス(切符の売上げ)、そのどちらから見ても強力な看板スターが同じ板の上に乗るんですから。多くの人たちが大きなアマルガメーション(異種配合)が起こることを期待したとしても、当然と思われます。
 10月の帝劇公演、森光子、東山紀之が二枚看板の「ツキコの月 そして、タンゴ」のことです。私が見たのは10月21日昼の部。森さんの可愛い女そのものといった風情、東山君の颯爽たる二枚目ぶりを大いにエンジョイしました。で、今までのふたりの競演同様、今回もまた期待したようなプラス・アルファが生まれたか。その辺のことはあとでゆっくり触れることにして。

今回の「ツキコの月」で森、東山の舞台での競演は5作品目(公演としては6回目)を数えます。「御いのち」(1994)、「深川しぐれ」(1997)、「春は爛漫」(1995、2003)、「花も嵐も」(1999)を経て「ツキコの月」になったわけです。テレビでも「花迷宮2/上海からきた女」(1991)、「誰かが誰かに恋している」(1996)とか数本あるようです。
 思うに森・東山の顔合わせを考えた人は凄い人としかいいようがない。
 初回の1994年当時、彼と彼女の間にはスター同士とはいえ雲泥の差があった。その状況は今も変わらない。片やキャリアからしても演技力からしても大女優中の大女優、片や超二枚目でダンスの切れ味では彼の右に出るものはいないとしても、森さんの前に出たらひよっ子みたいな存在ですからね。
 それに年齢が開き過ぎている。女優の年齢に触れるのはこの世界ではルール違反ですが、森さんくらいの高みに上った人ならば、違反も許してもらえるでしょう。それに複数の資料(日本映画俳優・女優篇、朝日人物事典、日本芸能人名事典)に名記されているのですから、ま、いいか。1923年生れなんです。一方の東山は1966年生れ。これだけの年齢差のあるスター同士がコンビを組むというのは、まず普通ではあり得ないことでしょう。
 それに、そういっちゃあ東山君になんだが、演技者としての風格が違い過ぎる。第1作目から表面的にはそう見えなかったけれど、彼は内面萎縮していたんじゃないかなぁ。いや、この場合は萎縮ではなく畏縮という言葉のほうがふさわしいかもしれません。
 実は、私はこのゴールデン・コンビを思いつき、それなりに下準備もし、実現にまでこぎついた人が誰であるか、ほぼ見当がついています。こんなあっと驚くようなことが実行できる人は、日本ショウ・ビジネス界広しといえどもたったひとりしかいませんよ。ただし、私だって絶対の確証があるわけではないので、これ以上申しませんが。

この顔合わせが実現したことでいちばん喜んだのはお客様でしょう。予想だにしなかった奇跡が起こったんですからね。と同時にふたりにも大きなプラスがもたらされたんじゃないか。ずばりいって森さんはヒガシから若さとエネルギーの素、若返りの妙薬を手に入れた。ヒガシのほうは稽古、本番を通して芝居とはなにか、演ずるとはどういうことかなど、日々多くの事柄を吸収したに違いありません。ナイーヴな感性の持ち主だけに大地が慈雨を吸い込むように学んだことでしょう。

帝劇の森さんの楽屋にいくと、化粧前にすわった彼女の背中の後ろのほうの鴨居に、可愛くていかにも精巧そうな鳩時計がかかっています。10月24日、私がお邪魔したとき、間がいいことに午後4時を目指して鳴り始めました。いくつもある小窓からは音楽に合わせて人形たちが姿を現すそのひとときのセレモニーの可愛らしいこと、私は思わず見とれてしまいました。音のほうも楽しかった。この時計、ふたりが最初に競演した「御いのち」の記念に、ヒガシがプレゼントしたもので、競演のたびに森さんは楽屋に持ち込んでいるそうです。なんだか仲睦まじくて妬けてくるなぁ。東山紀之さんと楽屋にて

今回のお芝居「ツキコの月」は、新聞雑誌やテレビが散々報道したように、森さんの「あたし月とタンゴが大好きなんです」というひとことを山下達郎、竹内まりや夫妻が耳にして、夫妻が森さんに「月夜のタンゴ」という曲を贈ったところから、すべてが転がり始めました。それをもとに伊集院静さんが小説「ツキコの月」を書き、その小説をもとに森さん、ヒガシ主演を想定した舞台台本「ツキコの月 そしてタンゴ」が作られるーーそういう段階が踏まれたようです。
 伊集院さんの小説が姉と弟という設定になっているところを見ると、小説が執筆される時点で森・東山主演の舞台が折込み済だったとも考えられます。

「ツキコの月」の姉と弟は賀集ツキコと眞一郎、ツキコは女優を目指し、眞一郎はタンゴ・ダンサーを天職と考えています。物語はブエノスアイレス、神戸、東京と太平洋、それも北半球と南半球を股にかけて繰り広げられます。このスケールの大きさは評価されてよい。そしてもちろん、バックに通奏低音のように流れているのは、山下、竹内の主題曲やアルゼンチン・タンゴの名曲です。料理にたとえれば、すばらしい原材料が整えられたといえましょう。

ところで休憩時間、改めてパンフレットを手にとってみてあたりを省みず「ええ、どうして?」と声を上げてしまいました。原作、作詞作曲、演出、製作のクレジットはそれぞれある。というのに台本を誰が書いたのかが明記されていない。随分長い間、私は芝居を見てきましたが、こんなケースに出会ったのは生まれて初めてのことです。珍事というべきか、あるいは椿事というべきか。
 見終わったあと、入ってきた情報によると、確かにある劇作家が台本を書いていた、ところがなんらかの事情でその劇作家が降りてしまった。そのあと演出家が引き継ぎ必死の思いでまとめ上げたノとまぁ、そういうことらしい。初日の公演は10月5日午後1時からでしたが、通し稽古が終わったのはその11時間前の同日午前2時だったなんて噂も耳にしています。
 日本人ってこういうときに馬鹿力を出して開幕に漕ぎつけてしまうんですね。10月30日までの興行は団体もいっぱい入っていてパンパンにはち切れそうだから、初日の延期なんて考えられない。これがブロードウェイやウエスト・エンドだったら、当然延期という処置がとられていたと思います。パンフレット

さて肝心の台本です。書いた人のクレジットのない台本がいいはずがない。名前がないのは最終的に台本を仕上げた人が出来に自信がなかったからでしょう。複数の人が係わり合ったから、ひとりの名前を記すことができなかった?それなら1行でも書いた人まで名前を列記すればいい。

名なしの台本のどこが駄目だったか。まず運命に翻弄される姉と弟という大筋がしっかりと書かれていない。それでいて、いやそれだからこそそうなるんですが、脇の話ばかり膨れ上がっていく。ツキコの所属する劇団葡萄座内のごたごた、いわゆる新劇と浅草オペラの対立、共産主義者とその転向など暗い話が次々出てくるんです。ほかにもヤクザの出入りとか。森さんと東山君ががっぷり四つに組む場面が設けられていないのは、ほんとうに困ったことでした。これではふたりの間に化学反応など生じるはずもないでしょう。
 それから「月夜のタンゴ」という曲がすべての源だったのなら、劇中でもこの音楽がもっと印象的に使われてもよかった。山下、竹内夫妻のプレゼント曲は、森さんが歌ってシングルCDにまでなってヒット・チャートも登場しているくらいなんですから。山下達郎を音楽監督に迎えるぐらいのことをしたってよかった。

森さん、東山君、帝劇公演ほんとうにお疲れさまでした。いや11月、名古屋・中日劇場に引っ越しして、まだ舞台は続くんでよね。台本・演出面で東京のときよりふたりが少しでもやりやすくなっていることを祈っています。最悪の事態を乗り切ったふたりはプロフェッショナル中のプロフェッショナルです。心より敬意を表したいと思います。

★名古屋・中日劇場公演 11月5日〜30日迄
中日劇場ホームページ http://www.chunichi-theatre.com/contents.html

この原稿を書いたあと、森光子さんの文化勲章受賞が発表になりました。森さん、本当におめでとうございます。今回の受賞を巡っては次回くわしく。
 なお、文中で触れた森さんの年齢ですが、文化勲章関連記事によると85歳になっています。すると1923年生まれでなく、21年生まれ?ますますその若さに驚いている次第です。

 

16:53 | コメント (2)

本文の前につく編集部が書いたリードに「すべてを、あまさず読んでいただければ幸甚」とあります。わざわざそんなふうにお願いされなくなって読み出したらやめられない。松山善三、高峰秀子夫妻の家に自由に出はいりできる唯一の物書き業、斎藤明美さん(「高峰秀子の捨てられない荷物」文春文庫)によるロング・ロング・ロングインタビューです。斎藤さんとデコちゃん(高峰の愛称)のやりとりが、その場での息遣いとともにこちらに伝わってくるんです。キネマ旬報9月上旬号にのっています。私は長年(多分50年ぐらい)のキネ旬愛読者ですが、この雑誌でこんなに得した気分になった記事はこれが初めてでしょう。

記事が掲載されている
キネマ旬報
ことしは日本映画史上に多くの秀作を残した故成瀬巳喜男監督の生誕100年に当たるんですね。それで劇場でのニュー・プリント上映、DVD発売、テレビ放映など数々の行事が目白押しに並びました。私もテレビ放映に何本かつき合いました。先だっても高峰秀子、森雅之主演の「浮雲」(1955)をNHK-BSで再見したんですが、淡々とした描写の向う側から見事に濃密な男女の業を浮び上がらせる成瀬演出に、つい釘付けになってしまいました。
 戦中のヴェトナムから始まり、戦後の日本に舞台を移し替え、果てるともなく続く行き違いのない情愛の物語は、見ていて息苦しくなる部分があります。また敗戦から立ち上がれない東京の風景は、私自身、この目でしかと見て記憶しているだけに辛いものがありました。
 改めて讃嘆したのは高峰の目の演技です。すなわち眼技ですね。場面場面で目の使い方がすべて異なる。デコちゃんは強度の近視のはずですが、近視と眼技とは関係ないのかな。
 たとえば、戦後、妻と住む自宅に森を訪ねるシークェンスでは応対に出た夫人をちらりと盗み見る目、次いで姿を見せた森をうらめしそうに見詰める目、御座敷でふたりになった瞬間のやや淫乱な目、それぞれみんな違うんですね。今のテレビ女優にはこれだけの目の演技ができる人は皆無でしょう。やはりスクリーンで勝負した映画女優は、眼技ひとつとっても違うんだなぁとつくづく感心しました。

ところでキネ旬のインタビュー記事です。「成瀬巳喜男監督を語る」という副題がついています。成瀬監督と高峰とは「稲妻」(52)、「あらくれ」(57)、「放浪記」(62)、「乱れる」(64)など17本もいっしょに仕事をした間柄で、とりわけ55年の「浮雲」はふたりのコラボレーションの最高峰といわれています。
 にもかかわらず、成瀬生誕100年の行事に高峰はいっさい関わり合いを持とうとしなかった。26年前に女優をやめ、4年前にエッセー執筆にもピリオドを打った彼女は、夫君との静謐な日々を誰からも邪魔されたくなかったからでしょう。

斎藤さんは、松山氏、デコちゃんに孫娘のように可愛がられている人なんですが、インタビューを受けてくれるよう説得するのは実に難事だったらしい。斎藤さんのくどきに「面倒臭い」「興味ない」の一点張りだったようです。そのデコちゃんをどうくどき落としたのか?くわしいいきさつはインタビュー後記を読んでいただきたいのですが、斎藤さんの「高峰秀子の肉声が欲しい」という執拗な説得に負けたものと思われます。

この長大なインタビュー記事はなんと20頁にも及んでいます。インタビューに当たって斎藤さんは2メートルにもなる年表を作りました。上段が高峰の、下段が成瀬監督のフィルモグラフィーです。時代は1929年から1979年に及んでいます。なんという用意周到ぶり。
 いよいよインタビューが始まります。初めはなにを尋ねても高峰は実に素っ気ない。「そ」「ふーん」「知らない」「だから何なの?」というような反応ばかり。その「そ」が、やがて「そう」「そうそう」になり「そうですね」になっていく。インタビュ−がようやく回転し始めたあたりの一問一答ぶりは、なんともスリリングとしかいいようがありません。

いくつか高峰発言のなかから引用してみましょう。「成瀬さんと私は、蟻の入り込む隙もないぐらい。お互いに信用っていうか。向うは諦めていたのかもしれないけれど」「成瀬さんは雑な演技というか、大雑把な芝居は嫌いなんですよ。腹芸って言うんじゃないけれど、細かーい心の動きを目の色や表情で出して欲しい人なの。」
 またデコちゃんがインタビューの途中で「(椅子から立ち上がり)オシッコしてくる」なんて箇所もあります。どうです、型破りのインタビューでしょう。

20頁になんなんとするインタビュー記事にはスチール写真がいっぱい入っています。とりわけ和服姿の高峰が美しい。それと成瀬監督の端正な顔立ち。三つぞろいの背広がぴたりと決まっているスナップもあります。

私は成瀬巳喜男は、文芸ものに秀でていた映画監督だったと思います。「めし」(51)、「稲妻」「放浪記」「浮雲」は林芙美子、「あらくれ」は徳田秋声、「流れる」(56)は幸田文が書いた小説が原作でしたから。これらの小説、それを基に作られた成瀬作品の登場人物は更に、世間の片隅であえぐ名もない人々ばかりでした。林芙美子はのちに流行作家になりますが、自伝小説「放浪記」の女主人公は不幸を背負った一文学少女に過ぎませんでした。
 映画評論家・佐藤忠男さんは、成瀬監督についてこう書いています。
「どこにでもいるような欠陥だらけの平凡な人物たちだけを描きつづけ、そういう人物の平凡な喜怒哀楽をキメこまかく描くときに比類のない秀作になった」(朝日人物事典)。成瀬作品の特徴を要約して過不足ない。
 ちなみに、成瀬監督は1905年生まれ。1969年に亡くなっています。

話は斎藤さんのインタビュー記事に戻りますが、インタビューをすませた翌日、高峰秀子から斎藤さんのもとに電話がかかってきます。
 「言い忘れたことがある。成瀬さんが死んだ時、私という女優も終わったと思った、と言ったね。それは、もう仕事も一切、きれいさっぱり未練がなくなった、つまり…殉死だね」
 成瀬監督は、あと1ヶ月で64歳というとき、この世を去っています。そのとき1924年生まれの高峰秀子は45歳でした。高峰の「殉死」というひとことの、なんといさぎよいこと。17本、ともに作品に関わり合った主演女優からこういわれるなんて、これ以上の監督冥利はないんじゃないでしょうか。

 

02:55 | コメント (20)

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