気紛れDIARY
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ひとりの日本女性として心から敬愛する、もちろん女優としても限りなく尊敬している森光子さんが文化勲章の栄誉に輝いた。私にとって、ことしいちばん嬉しい出来事です。

少しばかり自慢すると、森さんとのお付き合いは随分長い歳月にわたります。関西から上京し、初めて東京の舞台に出演したときから知っています。演目は菊田一夫作・演出「花のれん」、劇場は東宝芸術座、1958年、昭和33年のことです。もう47年前のこと、私は25歳、主たる取材分野はポピュラー音楽でしたが、映画、演劇なんでもこいのフリーランス・ジャーナリストでした。
そう、あの当時、芝居の幕内では森さんのことをモリミッちゃんと呼んでいた。生意気にも私もそう呼んでいました。

10/21 帝劇 楽屋にて今回の文化勲章最大の理由は、1961年(昭和36年)以来の「放浪記」での卓抜な演技に基づいています。ことしも芸術座、博多座、富山オーバードホールで上演されていて、通算1795回を数えます。このお芝居のなかでは、主役林芙美子を演じる森さんが、でんぐり返しをするところがあるんですが、でんぐり返しのほうも1795回やってきたことになるわけです。
 森さんは1920年生まれ、「放浪記」の初演時は40歳か41歳でしたが、今や85歳です。それでいてなお、でんぐり返しを舞台上でやってのける、これだけでも奇蹟、いやなにより努力の賜物といっていいでしょう。

「放浪記」は実在した小説家、林芙美子の一代記です。作・演出菊田一夫。菊田さんが亡くなってのち、三木のり平が少し(いやかなりかも)演出を手直ししました。現在の舞台は菊田・三木ふたりの演出を受け継いだものです。
 「放浪記」の芙美子は気丈で涙もろい女です。そして男に弱い。男が放っておけないという面もある。ひとことで言えば「可愛い女」です。その可愛い女を森さんは今そこに生きているように演じて見せる。芙美子が森さんに乗り移ったのか、あるいはその逆か、入神の演技とはこういうことをいうのでしょう。

幸い私は、初演のこの舞台を見ています。森さんは、演技面では年々円熟味を増してきたと思われますが、若々しさという点では61年当時も現在も変わりありません。森光子という女優は、まさしく「化け物」です。

「放浪記」にはでんぐり返しだけではなく、いっぱい見どころがあります。ある程度、世間で認められるようになった芙美子が故郷の尾道に帰り、行商人一家と出会う。貧しいその一家にはいたいけな少女がいて、とてもひもじい思いをしている。その子と幼いころの自分とを重ね合わせ、瀬戸内の海を眺めつつ、ひとりもの思いに耽る場面は、なんど見てもじーんと胸に迫るものがあります。終幕、功なり名を遂げた芙美子が、注文原稿に追われつつ深い孤独感の中に沈んでいく。そのあたりの森さんの演技は見るたびに磨きがかかり、絶品としかいいようがありません。

森さんの女優としてのしあわせは、菊田一夫とう劇作家・演出家と出会ったことでしょう。この邂逅がなければ、「放浪記」もなかったし、その延長線上の文化勲章もなかったわけですから。

この10月、森さんは帝国劇場で「ツキコの月 そして、タンゴ」というお芝居に出演していました。10月21日のマチネー、私はこの舞台を見たあと楽屋に森さんを訪ね、しばしお喋りを楽しみました。帰りがけ芸能生活70周年の記念切手(80円切手10枚組み)をくださいました。つい私が、
「へーえ、政府も粋なことやるんだなぁ」
と言ったら、森さん
「これ、(総務省の)最後のお仕事かもしれませんね」
郵政民営化が完全に決まったわけだから、そういえないこともない。実は私は、森さんのこの手のユーモア精神が大好きなんです。

実はこの日、家内といっしょだったんですが、楽屋の入り口でふたりして靴を履きかけたところ、私たちは「あのぅ、ちょっと」と森さんに呼びとめられました。なにごとかと思い、上がり框のあたりに佇むと、ちょっと恥ずかしげに、しきりに言い淀みつつ、
「ほんとうはまだ内緒なんですけれど、実はこんど文化勲章を……」
 森さん、公表前にそっと教えてくださって、とっても光栄です。その後、なんども思い出しては身内に加えてくださっているんだなぁという喜びを噛みしめています。早々に文化勲章の「お裾分け」、ほんとうに有難うございます。

 

13:39 | コメント (1)

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