気紛れDIARY
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寒中御見舞い申し上げます。2006年も、なにとぞよろしくお付き合いください。
年が改まってぼちぼち動き出し、見たり聞いたり感じたりしたことがいくつか溜まったので、それを書いて、ここのところサボっていたブログの穴埋めをするつもりです。
 いろは歌留多から借りてくれば、差し詰め「犬も歩けば棒に当たる」でしょうか。そういえば、今年は戌年でした。

まずは1月3日に丸の内プラゼールで見たアメリカ映画「SAYURI」の感想。 この映画については否定的な意見が多い。たとえば渡辺淳一氏は週間新潮の連載エッセイで、国辱的とまで決めつけている。京都を、とりわけ祇園をこよなく愛でるセンセイが怒るのはわからないでもない。リアリズムからすれば違和感ばかりだろう。なにしろ、主な芸妓を演じるのはチャン・ツィー、コン・リーといった中国を代表する映画女優ですからね。

サントラ盤は
SONY CLASSICAL から
立川志らくが朝日新聞に寄稿した作品評はこんな風に始まる。

たとえば、こんな映画があったらどうか。
舞台は仏蘭西は巴里。フランス女性のトップモデルの物語。彼女を演じているのはフランス女優でなく、アメリカ人の女優。さらに彼女は不思議なことに日本語を喋っている。彼女だけではない。周りのフランス人も全員日本語を喋っている。その映画は日本で製作され、フランス人気質とフランス文化は日本人が描いているとしたら……。

なるほどこういう比喩もなり立つにちがいない。しかし私は少し違う見方をしました。これはエンターテインメントとしては、瞬時もとは言わないが結構飽きさせない仕上がりになっている、見事だなと。なんたって、監督がミュージカル映画「シカゴ」を撮ったロブ・マーシャルですからね。テンポがとってもいい。もともと舞台の振付家出身だけに、物語をどんなリズム感覚で運んだらいいか、骨身に染みてわかっているんです。
 ヒロインに扮するチャン・ツィーが踊りを踊るところがある。舞台のしつらえは花道というより縦長の張り出し舞台です。そこで彼女が踊る踊りは、祇園なら井上流でしょうが、そんな様子はこれっぽっちもない。でも鈍感なせいか、私はさほど違和感を感じなかった。むしろその迫力に圧倒されたくらいです。

迫力といえば、ドラマとしても迫力満点です。女性同士の間に繰り広げられる情念のぶつかり合いということでは第一級でしょう。
 それと美術が結構、面白い。ここでもリアリズムという点ではおかしなふしは一杯ある。けれど町並、家の内部、芸妓の髪型、小道具、衣装にデザイン性が欠けているかというとそうではない。一種のアンサンブルを生み出している。じゅうぶんに豪華絢爛だし、観客を夢見心地に誘うだけのものがありました。

ロブ・マーシャルの舞台演出で評判の高かったものに、ブロードウェイで大当たりした「キャバレー」(サム・メンデスと共同演出)があります。日本でも引越公演がなんどかおこなわれているからご存知の方が多いと思います。ライザ・ミネリ主演の映画でおなじみの物語です。第二次世界大戦が近づくベルリンを背景にしたイギリス人のキャバレー・ホステスとアメリカ人の作家志望の青年との恋物語です。あの舞台だってどこまで当時のベルリン風物に寄り添っているかといえば疑わしき箇所がないわけではないでしょう。映画のライザだって、およそイギリス人らしくなかった。
 アメリカ、ヨーロッパ間だって、ある国の映画、演劇が他の国の風俗、文化を描けば当然違和感は生じるにちがいない。ましてやハリウッドと日本とでは……。違和感があっても少々我慢しないと、文化交流なんてできないんじゃないでしょうか。渡辺センセイは、我慢の限界を超えておいでなのかなぁ。

ところで志らく師匠。この人の映画への入れ込みようは、「キネマ旬報」の連載「シネマ徒然草」を読めば一目瞭然です。すでに220回を超える連載エッセイで、知識の豊富なこと、視点のユニークなことといったらない。
 実は師匠も「SAYURI」をそれなりに楽しんだのだと思います。朝日の批評で「一人の女の子のシンデレラストーリーを描いた娯楽映画としてはよく出来ている」と書いているんです。エンターテインメントとして評価した私の評価と共通する部分もあるのかもしれませんね。

忘れるところでしたが、ジョン・ウィリアムスの音楽も聞き逃せない。日本的な要素(それも多様な)をうまく取り入れた数々の楽曲でスクリーン上の劇的展開を実にうまくフォローしていきます。邦楽をこんな風にいじってもらっては困ると非難する向きもあるでしょうが、画面との相乗効果ということではこれでいいのです。サントラ盤はSONY CLASSICAL から。

渡辺プロ50周年記念展で。
左から立川直樹氏、
渡邊美佐さん、筆者
 3日はこの映画を見たあと、丸ビルで行われていた渡辺プロダクション設立50周年記念展覧会「抱えきれない夢」(1月15日まで)に足を伸ばしました。私は、去年12月22日、公開に先立つお披露目のときに見ているんです。しかも、閉館ギリギリにいったので、渡邊美佐さん(同プロ会長)、渡辺ミキさん(同プロ副社長、渡辺エンターテインメント社長)、展覧会プロデューサー立川直樹さんたちも手が空いていたのでしょう、3人直々の解説つきで見て回ることができました。なんという贅沢!しかし、その日1日だけではじっくり見た気がしないので、お正月にもう一度出掛けたというわけです。

渡辺プロ、通称ナベプロは芸能プロダクションのパイオニアです。そのあとホリプロ、サンミュージックができた。今、一大牙城を築いているバーニングはずっと後輩です。
 設立は1955年1月。日比谷三信ビル地下に米軍キャンプにバンド、歌手、色物を送り込むコンソール芸能社という小さな事務所があったんですが、そこに机ひとつ借りてスターとしたんです。1999年発刊「抱えきれない夢/渡辺プロ・グループ40年史」によると、実際に持ち込んだ机は4つのようですが……。
 設立者はふたり、シックス・ジョーズというジャズ・バンドのリーダーで、ベース奏者だった渡邊晋さん、このバンドのマネージャー曲直瀬(まなせ)美佐さんでした。2ヵ月後、ふたりは結婚し、美佐さんは渡邊姓を名乗ります。
私は、新婚ほやほやのナベシンさん夫妻、机ひとつのナベプロを知っています。多分、オフィスを訪れ、ふたりと初対面の挨拶を交わしたのは、55年秋から56年春の間ではないでしょうか。ちょうどその当時、私はジャズ、ポピュラー音楽分野でのフリー・ジャーナリスト稼業を始めたばかりでした。その時期と重なり合うだけに、割合よく記憶しているのです。

渡辺プロの歴史は、戦後日本のショウ・ビジネス史とぴったり重なっています。テレビ番組や映画を丸ごと製作する、いわゆるパッケージ製作はナベプロが先鞭をつけたものですし、楽曲管理のために音楽出版社を設けたことでも先駆者でしょう。ワーナー、パイオニア、渡辺プロが一緒に立ち上げたワーナー・パイオニアはCBS・ソニーに次ぐ日本で二つ目の外国レーベルとの合併レコード産業でした。社名にこそ渡辺プロの名前は反映されていませんが、合併に向けて中心的役割を果たしたのは晋さんで、パイオニア出身の石塚庸三氏に次ぎ、二代目社長に就任しています。

展覧会に並べられた思い出の品の数々を思いつくままに記しておきます。今は亡き晋さん愛用のベース。美佐さんが60年代から愛用した5個でワンセットのルイ・ヴィトン旅行用トランク。あのころからルイ・ヴィトンを使っていたことひとつとっても、彼女がいかに時代の先端を行っていたかわかろうというものです。
 それから、ザ・タイガースのデビュー当時のユニフォーム。ベージュ色、三つ釦のスーツです。キャンディーズ解散記念コンサートで伊藤蘭が着たドレスもあった。梓みちよは天皇皇后両陛下(昭和天皇、香淳皇后)の御前で「こんにちは赤ちゃん」を披露したことがあるんですが、そのときの晴着も出品されていました。

たとえば伊藤蘭のドレスは、長年、大事に取っておいた彼女のお母さんから提供を受けたとか。今回の記念展覧会は、いろいろな人たちの協力があって開催できたのだと思います。それらの品々は、それを着た人、用いた人、取っておいた人のお宝でしょう。展覧会が終われば、それぞれの所有者のもとへ返されるのだと思います。
 しかし、個人所有ではいずれどこかに消えてなくなってしまう危険性もある。本当は、日本芸能ミュージアムみたいなものができて、そこに収められるというのが理想的なかたちではないでしょうか。これを機会に渡辺プロが中心になって芸能ミュージアム設立の機運を盛り上げてくれると嬉しいのですけれど……(これは私のような第三者の勝手な言い分でしょうか?)

鳳蘭さんと長嶋監督。
中央後ろは平尾昌章さん
 1月8日、鳳蘭さんの紫綬褒章受章を祝う会があり、出席しました。於東京会館。受章したのは長年にわたるミュージカルの舞台での着実な演技が評価されたからでしょう。
 ツレちゃんの愛称で知られる鳳蘭さんは、言うまでもなく宝塚出身。男役としては、希に見る大器でした。退団したのが1979年ですから、外の舞台で幅広く活躍するようになって26年にもなるわけです。外の世界でも、宝塚時代に負けず劣らず大輪の花を咲かせ続けてきました。
 しかし、それにしてもツレちゃんは、いつまでも男役の雰囲気が抜けない人だと思います。この日の髪型、タキシード風のジャケットからして男役そのものでした。宝塚時代からついてきているファンには、それが堪えられない魅力なのでしょう。

劇作家斉藤憐さん(代表作「上海バンスキング」)が祝辞のなかでこんなことを言っていました。
「彼女とはじめて仕事をしたとき、さすが宝塚はすばらしい教育をしているなと思いました、私の台本にいっさい文句を言わない。そっくりそのままやってくれる。私が育った新劇の世界では、あの科白を削れ、こう直せと、俳優たちは言いたい放題ですからね」

「ハウ・ツー・デイト」という芝居で共演した堺正章さん。
「受章のニュースを聞いたときは、他人事(?)のように嬉しく思いました。是非、もういちど結婚して……。いや私は大きなことを言える立場ではないんですが」
 活字で再現してどこまでおかしさが伝わるかわかりませんが、さすがマチャアキ、笑いを取る間(ま)のうまさは天下一品でした。
「ハウ・ツー・デイト」のときのこと、マチャアキと劇作家兼演出家が意見の一致を見ず、お互いに掴みかからんばかりの険悪状態になったんだそうです。
「私がツレちゃんに聞いたんです。私を選ぶか、彼を選ぶか?そうしたら彼についていく、って言うんです。まあそれはそうでしょう。ところが劇作家兼演出家のほうが降りちゃった。もちろん、台本もいっしょに引き上げてしまった。そこで私がゼロから1枚1枚書いていったんです。初日まで1週間しかないというのにねぇ。ところが彼女、ぜんぜん動じなかったんです。お蔭様で無事、初日を迎えることになりました」
 マチャアキは、やや皮肉を込めつつもさすがツレちゃんは大物と言いたかったのでしょうか。

祝電披露のトップは小泉総理。次いで司会者が長嶋茂雄監督の電報を読み上げ始めたと思ったら、正面向かって右側の入り口からなんと御当人が姿を現したのには驚きました。あまりのタイミングのよさに、司会者の声が上ずっていたくらい(これ、まさか演出じゃないでしょうね。昔、森繁久彌が祝電を打っておきながら駆けつけるという手をよく使っていたけれど)。 びっくりして壇上から駆け下りたツレちゃんに、長嶋監督は「おめでとう」といっていたようです。長嶋監督は杖こそ持っていたものの頬の色艶もよく、とても元気そうでした。

更に驚いたのは、このあと祝辞をのべる来賓が王貞治監督だったことです。冷静沈着のはずの王監督も、心なしか興奮気味でした。
「実は長嶋監督が倒れられてからお会いするのは、今日が初めてなんです。ツレちゃんがこんな機会を作ってくれるなんて……」

パーティーの引出物は
仏・赤ワインCHIROUBLES
(ボジョレ地区)2004と、
菊の御紋付き
ワイングラス2個でした。
 私は鳳蘭が長嶋、王両監督とどういう交遊を重ねてきたのか、まったく知りません。ふたりの偉大な野球人がお祝いに駆けつけてくるとは、昔から並々ならぬ人間関係を築いてきたからだと思います。

演劇人として紫綬褒章を受章したことも凄いことです。しかし、長嶋、王両監督が来賓として出席することはこれまた別の凄いことにちがいありません。ツレちゃんが大物だという証拠でもあります。 舞台でもいっそうの大物らしい名演技を楽しみにしていますよ。

 

11:49 | コメント (2)

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