気紛れDIARY
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老いてますます盛ん二題

2006年02月14日

 

(1)森光子さんに `金鵄勲章’?

参加者ゆうに1000人を超えるという盛況ぶり。そこにいる全員が、今日はほんとうにおめでたいと思って駆けつけてきているのでしょう、どんなパーティーより誰もが頬をゆるめ、談笑している。会場全体のあでやかな空気の中にどこか心なごむような気配が感じられるのもうれしいことです。これは、今日の主役の人柄とそれに惹かれる参加者の気持の表れかもしれません。その気持とは端的にいえば敬愛の念でしょうか?

1月30日、帝国ホテル孔雀の間でおこなわれた「森光子さんの文化勲章受章を祝う会」に、私が一歩足を踏み入れたときの印象です。

司会の山川静夫さんの第一声、これが実によかった。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき、といえば林芙美子ですが、森さんの場合は、花の命は長くして楽しきことも多かりき、でしょうか」
 森さんは、林芙美子原作、菊田一夫脚色「放浪記」の女主人公(原作者の分身)を通算1795回演じています。森さん、小説家林芙美子、芙美子の代表作「放浪記」のヒロイン、この3人の女性は今や分かちがたく重なり合っている。なんとも見事なトリプル・イメージといっていいでしょう。参加者ひとりひとりと
丁寧に挨拶を交す森光子さん

日本赤十字社社長近衛忠煇さんがスピーチに立ち、こんなことを言っていました。
「森さんのお芝居にわたしのじいさん(1930-40年代に3回、総理大臣を務めた近衛文麿)が出てくるのがあるのですが、森さんはじいさんのお妾さん役の芸者をやられていました。舞台の可愛らしい森さんを見ていましたら、じいさん、結構楽しいこともやっていたんだな、とつい思ってしまったくらいです」
 文麿の妾の芸者(劇中の役名はよね丸、のちによね)がどんな顔立ち、性格だったのか、近衛さんだって知る由もないでしょう。しかし、森さんの演じるその役を見ているうちに、あるべき理想の女性の姿を見出したのかもしれません。
 確かにこの芝居のなかでは、文麿が戦争責任を追及されたとき、心の支えとなる存在としても描かれていました。ただ単に可愛らしい女として登場するわけではないのです。
 森さんは、内に強い意志を隠し持つというよねの別の一面もしっかりと演じていました。
 その芝居は「夢の宴」(白崎秀雄原作、小幡欣治脚色)、文麿役は亡き芦田伸介さん、適度に貫禄と気品と色気が滲み出ていて、なかなかの名演でした。
 
受章を祝う会で、森さんご自身が述べたお礼の挨拶のなかで、ひときわ年配出席者の爆笑を誘ったのは、
「ジャニー喜多川さんが電話をくださって、金鵄勲章をもらったんだって?……」
 というくだりでした。日系2世、アメリカ軍軍属として韓国、日本に駐留したことのある(いうなればアメリカ軍軍人ですよ)ジャニーさんが、日本軍人にとって最高の栄誉ある勲章、金鵄勲章を持ち出したというところがすこぶるおかしい。そもそもジャニーさんと金鵄勲章はミスマッチなのです。アイドルを生み出す天才ジャニー喜多川ともミスマッチなのはいうまでもありません。
 久世光彦さんが、「週刊新潮」連載エッセイ「大遺言」(2月16日号)でこの森さんのひとことに触れ、
「当夜のスピーチ中のジョークの白眉」
「若い少年隊のメンバーに通じたかどうかわからないが、このジョークは満員の客ウケた」と書いています。
 この夜のパーティーの参加者はかなり平均年齢が高かったから、笑いがドッときたわけですが、少年隊でなくても若い人たちにとって金鵄勲章はチンプンカンだったにちがいありません。

いったい金鵄勲章ってなに? まず金鵄から説明しましょう。神武天皇東征のおり、天皇の弓に留まり、その輝く金色で敵軍の目をくらましたという金の鳶(とび)のことです。日本神話のなかでも有名な挿話です。戦前戦中の日本史の教科書には、第1頁目に鳶が留まった弓を手に持つ神武天皇の絵が掲げられていたものです。
 この神話にちなんだ金鵄勲章は、日本帝国軍人にあたえられた最高の勲章でした。功一級から功七級まであり、銃弾の飛び交う戦場で戦った将兵にのみ、その勲功に応じて授けられました。
 私の祖父は日清戦争、日露戦争に出陣した陸軍軍医将校で功四級金鵄勲章を授けられていたので、実物を見せてもらい、よく知っています。今では古道具屋さんを回ってもなかなか見つからないでしょうね。

ジャニー喜多川さんが金鵄勲章を持ち出したのは、米軍軍人として敵方日本軍の勲章を知っていたからでしょうか。 いや昭和1桁生まれ、根っからの日本人だから知っていたんでしょうね。
 それはともかく、森光子さん、功一級金鵄勲章、じゃなかった文化勲章、改めておめでとうございます。


(2)老アンディ・ウィリアムスに新たな稔り

左から筆者、アンディ・ウィリアムス、
盛田良子さん(ソニー創設者
の盛田昭夫氏夫人、
アンディとはゴルフ仲間)
当日、会場では招聘関係の人たちが
「79歳になるんですよ」
 と口々にいっていたけれど、彼のアルバム「The Best of Andy Williams Hits」(Sony Music Direct) のライナーノートによると、1927年12月3日生まれと書かれていますから、去年暮に78歳の誕生日を迎えたことになります。たった1歳の違いだから、ま、大目に見ることにしましょう。
 実のところ、78歳か79歳か、どっちがほんとうかなんてどうでもいい。この年齢でこれだけ声が出て感情表現が隅々まで行き届いているというのは、これはもう手放しで賞賛に値することだと思います。2月9日夜、東京国際フォーラムAでアンディ・ウィリアムスのコンサートを聞いて、若いころとは違うアーティストに変貌した今の彼に率直に感動を覚えました。

アンディ・ウィリアムスのCD60-70年代、アンディはアメリカでも日本でもすこぶる人気の高いポピュラー歌手でした。ルックスも声も女性ファンに受ける甘さがありました。特に声のほうはヴェルヴェット・ヴォイスと呼ばれ、女性の心をくすぐるものがあったようです。
 彼の人気は日米ともにテレビ抜きには語ることができません。週1回の「アンディ・ウィリアムス・ショウ」は全米ネットで高視聴率を誇り、日本でもNHKがオンエアするとたちまち人気番組になりました。
 まだ日本とアメリカが遠かったころ、毎週、彼の歌う姿を見ることができたわけですから、人気が出ないわけがないでしょう。
 音楽番組のディレクター、プロデューサー、構成作家たちもこの番組から多くのことを学んだと思います。

しかし正直なところ、アンディ・ウィリアムスは二枚目過ぎてアーティストとしては面白味がなかった。容姿、歌いぶりすべてがカッコよすぎ、今ひとつ物足りなかったといえばいいでしょうか?瞬間風速で人気が高いだけのポピュラー歌手、いずれは消えていくだろうと思っていたのです。
 今回のコンサートでも開幕前に渡辺貞夫さんご夫妻と挨拶をした際、ナベサダさんとこんな会話を交わしてしまいました。
「渡辺さんとアンディ・ウィリアムスってちょっと合わない気がするな。メル・トーメやトニー・ベネットならまだわかるけど」
「うん、シナトラとかね」
 私たちの間でのアンディの評価はほぼ共通していたということでしょう。

今回のアンディのステージは、バンド9名、コーラス3名(男性1名、女性2名)を従えての2部構成、メドレーを含め29曲を歌いまくりました。歳が歳ですから、舞台上の動きはスマートとはいいがたい。しかし、バンド、コーラスとの息の合い方は絶妙でした。凝った編曲にもかかわらず、ぴたりぴたりと決まって心地のよいこと。ジャズ的表現とは別のものですが、ヴォーカリストとしてはある境地に達していると思いました。
 私がとりわけ感動したのは「Love is Hereto Stay」と「Impossible Dream」です。大げさに言うと、彼が過ごしてきた人生が滲み出ていました。前の曲はしゃれっ気を交え、後の曲はじっくり腰をすえてという表現の違いはあったにせよ……。
「Love is a Many Splendored Thing」「Hawaiian Wedding Song」のようなただ甘いだけの歌まで味わい深い歌に変化を遂げてしまうのは、いったいどういうことなのでしょうか。
「I left My Heart in San Francisco」は、朗々たる歌声の奥のほうからトニー・ベネットを超える哀愁が響いてきたくらいでした。
 
60年代から見聞きしてきたアーティストが、長いキャリアののち新たな稔りの季節を迎えているとは、うれしいかぎりです。終演後、本人に若さの秘訣をたずねたところ、
「それは秘密、秘密」
 と逃げられてしまいました。

 

21:15 | コメント (1)

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