気紛れDIARY
: 安倍 寧 Official Web Site

 「ラスト、コーション」をたっぷり楽しんだすぐ翌日、リドリー・スコット製作・監督の本作を見ました。もとよりふたつの作品にはなんの関係もない。しかし、私の場合、続けて見たという事情からつい比較したくなる。優劣はさて措き、確かにいくつかの共通点があるんですね。

「アメリカン・ギャングスター」デンゼル・ワシントン(左)
とラッセル・クロウ
 2作品ともたっぷり2時間半ある堂々たる大作ながら、まったく飽きさせません。どちらも見どころ満載のエンターテインメント性を十分に備えているんです。
 いちばん肝心なのは、ストーリーの背後に戦争という歴史的事実を背負っているという点でしょう。「ラスト、コーション」は日中戦争、「アメリカン・ギャングスター」はヴェトナム戦争。そのことが映画に幅と厚味をもたらしているといっていいでしょう。
 「ラスト、コーション」は男と女の、「アメリカン・ギャングスター」は男と男の命がけの対決と、作品の趣はまったく違うのですが、それぞれの対決の劇的効果をより激烈なものにしているのが、日中戦争でありヴェトナム戦争なのです。

 この作品の一風変わっている点は、ニューヨークを背景にしたギャングものでありながら、イタリア系マフィアではなく黒人集団の物語だということでしょう。一団を率いるのはフランク・ルーカス(デンゼル・ワシントン)、彼を地道な捜査で追い詰めていくのが、ニュージャージー警察のリッチー・ロバーツ刑事(ラッセル・クロウ)です。両雄並び立たずといいますが、ここでは、フランクとリッチーが見事に並び立っています。ふたりの俳優が迫真の演技で火花を散らせているからです。こういうドラマにリアリティをもたらすには、花も実もあるおとなの俳優が揃うことが絶対必要条件にちがいありません。

 フランクは、タイから純度の高い麻薬を直接輸入し、更にそれを安価で大量に販売することで地位を築きます。純度は通常の2倍、価格は半値、闇市場での商品名は“ブルー・マジック”。もちろん彼は巨額の利益を手にすることになります。
 現地からアメリカに麻薬を運ぶ手段が、大胆不敵というか人を喰ったというか、あまりにも奇想天外でびっくりさせられます。戦死した兵士たちのお棺にまぎれ込ませ、軍用機で運ぶんです。つまり軍の一部を賄賂で巻き込んでしまうというわけですね。

原作のハヤカワ文庫原作のハヤカワ文庫
定価760円(税別)
 映画のもとになっているのは、アメリカの作家でジャーナリストのマーク・ジェイコブスンがニューヨーク誌に発表した短篇です(ハヤカワ文庫「アメリカン・ギャングスター」所収の「アメリカン・ギャングスター『ハーレムの幽霊』フランク・ルーカスの物語」)。ジェイコブスンがルーカスに直接取材して書いたものだそうです。つまりルーカスは実在の人物(当然、相手のリッチー・ロバーツも同じ)で、映画は実話に基づいて作られているということです。
 その短篇から、フランクが「アジアでやったさまざまな作戦の中で、本人が『一番ビビって最高だった』“ヘンリー・キッシンジャー事件”」のくだりを引用します(田口俊樹訳)。

 フランクによれば百二十五キロのヘロインをなんとしてでも出荷しなくてはならなかったのだが、「友好的な」飛行機が一機もなかった。「あったのはキッシンジャーの飛行機だけだった。キッシンジャーが国務長官だったなんて知らなかったんだ。巨大なサイクロンに襲われたバングラディッシュを見舞いにきていたんだが、おれたちは将軍のひとりに十万ドル渡してよそ見してもらってるあいだに仕事をした。こういうことだ。いったい誰がヘンリー・キッシンジャーの飛行機を調べる?
 ヘンリー・キッシンジャーだぜ!自分があんなに大量の麻薬を密輸する手伝いをさせられたと知ったら、なんて言うだろうな……(キッシンジャーの物真似をして)いったい誰が私の飛行機にあの麻薬を積み込んだんだね?なんてな、は、は、は。知られなくてよかったよ、、、、、、、、、、、)知られてたら運び賃を請求されてたかもしれないからな、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)……」(傍点、引用者)

 最後の落ちというのか捨て科白というのかには、笑い出さずにはいられません。

 ヴェトナム戦争で戦った兵士たちの多くが、戦場で、あるいは帰還後も麻薬中毒に落ち入ったという事実はよく知られています。彼等にとって死の恐怖から逃れるための“必需品”だったのかもしれません。しかし、軍用機が麻薬を運ぶ手段に利用されていたとは!

 当時、1日100万ドル売り上げがあったといわれるルーカスですが、日常生活は目立たぬように目立たぬようにと努めました。ハーレムで麻薬売買を監視するときは、300ドル出せば手に入るおんぼろシヴォレーに乗って出掛けたというのですから。
 ところが、ジョー・フレージャー対モハメッド・アリによる世界ヘヴィー級ボクシングのタイトル戦がおこなわれた晩、その厳しい自己規制を自ら破ってしまうんですね。恋人エヴァ(ライマリ・ナダル)から贈られた派手な毛皮のコート(しかも帽子と対)を着て出掛けるというミスを犯すのです。
 双眼鏡を覗いていたロバーツ刑事が初めてフランクに疑念を抱くあの場面は、映画のなかでもひとつの重要な山場だと思います。

 この映画は、ヘロイン運搬に軍用機が使われたことと並んで、ニューヨーク警察の麻薬捜査班の大半がフランクの賄賂によって汚染されていたことをも暴露します。これも衝撃的でした。逮捕されたフランクは、司法取引に応ずるのですが、その条件は賄賂を贈った警察官の名前を明らかにすることだったのです。

 ところで、映画のなかのもうひとりの主人公リッチー・ロバーツ刑事ですが、単にホシを追い駈けるタフ・ガイとしてではなく、彼が実生活で背負っている不本意な側面も描き出されています。別れた妻とは息子の養育権を争っているし、融通がきかない(捜査中見つけた金を仲間と着服することなど決してしないというような)ので、署内でも疎まれています。川向うのニュージャージー州の所属なのにマンハッタンの事件に首を突っ込んでくるのですから、ニューヨーク市警の刑事たちに嫌われるのは当然でしょう。
 ギャングから賄賂を平然と受けとっている仲間とは一線を画していますが、ただの堅物ではなく人間味ある人物として共感を持つことができます。ラッセル・クロウの好演の成果でしょうか。

 リッチーは、超多忙な捜査の合い間を縫って司法試験を目指しこつこつと勉強を重ねています。のちに司法試験に合格し晴れて弁護士資格を得たリッチーは、フランクの弁護士を引き受けます。これには驚きました。なんでもありのアメリカならでは--。もちろん実話にのっとっています。

 題名を見て「アメリカン」とは大きく出たものだと思いましたが、この映画は、ヴェトナム戦争当時のアメリカの隠された側面をえぐり出してあまりある。監督、脚本、編集、演技すべてがそろった完璧なエンターテインメントに仕上がっている。見終ったあと、しばし呆然となっていました。

-----------------------------------------------------------------

★『アメリカン・ギャングスター』 2月1日~全国ロードショー!

(C)2007 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED

-----------------------------------------------------------------

 

12:01 | コメント (0)

 自らの出自が色濃く滲み出ている「推手」「ウェディング・バンケット」「恋人たちの食卓」の3部作はともかく、アン・リーの監督作品は1作1作作風が違います。日中戦争を背景にスパイ事件がからむんですから、単なる“情痴映画”とはいいませんが、「飲食男女」(「恋人たちの食卓」の原題名)ならぬ“性愛男女”というところでしょうか。
 こんなへたくそな冗談にもならない冗談はさて措き、ゲイカップルのカウボーイの生きざまを柔らかな眼差しで見つめた前作「ブロークバック・マウンテン」とは、まったく趣を異にすることは間違いありません。

主演二人トニー・レオンと
新人のタン・ウェイ
 さてアン・リー監督の最新作「ラスト、コーション」ですが、去年暮、中央公論新社取締役の河野通和さん、河野夫人で映画プロデューサー村上典吏子さん(「男たちの大和/YAMATO」他)と夕食をともにしたとき、ご主人が熱っぽく語られていたので、なにがなんでも見なくてはという気にさせられました。河野さんは作家の西木正明さんといっしょに見て、なんと朝4時までウィスキー3本空けて語り合ったということです。

 「ラスト、コーション」は英語の原題は「LUST、CAUTION」です。lustは官能的欲望、cautionは警告を意味します。漢字に直すと「色|戒」だそうです。色への戒めと読みくだすと、なんとなくいわんとするところがわかるような気がします。
 いや色への戒めなどなんのその、劇中ではヒーロー、ヒロインは果てしない愛欲の渕に沈んでいきます。時は日中戦争のさなか、ところは主として上海、そして男は中国人でありながら日本軍傘下の諜報機関のボス(トニー・レオン)、女は彼の命を狙う学生上がりのスパイ(新人タン・ウェイ)です。男は女の正体に気づいているのかいないのか?女のほうは女のほうで、男に正体を見破られていると薄々思っているのか、見破られていないと確信しているのか?ふたりの心理はきわめて不安定で宙吊り状態にある。多分、そういう心理的状況のほうが、色恋というのは火がついたように燃え上がるのでしょう。

 監督がいかに力を込めて撮っているのかがわかる、3シークエンスに及ぶ愛欲描写は映画史上希に見るもので、きっと末永く語り継がれていくことでしょう。ただし日本では公開に際し、税関で4ヶ所、映倫で2ヶ所の修正を受けました。韓国、香港、アメリカではそのままだというのにですよ。中国での7分カットにくらべたら、ましかもしれませんが、表現の自由という点では日本はまだ後進国なのでしょう。アン・リー監督の手になるこの作品がポルノ映画まがいでないこと、断わるまでもありません。

 ところで愛欲描写がリアルなようにこの愛欲のドラマの流れ全体がリアルで説得力があるかというと、かならずしもそうではありません。女スパイは、相手の夫人に気に入られ、するりと麻雀仲間に加えられるのですが、そううまくいくものでしょうか。夫人の目を盗んで男と女が逢い引きを重ねる、それだって容易にはおこなわれがたいでしょう。
 上海の街のたたずまい、富める人々、貧しい人々それぞれの暮し向きなど、きっとそうであったろうと思わせるリアリティに富んでいます。日本軍々人の宴席の描写も不自然さがまったくありませんでした。それだけに主役ふたりの行動、心理にご都合主義が感じられるのが、やや残念という気がしました。
 しかし、魔都上海を背景にしたエンターテインメントとしては骨太で風格があり、十二分に興奮と陶酔を味わわせてくれます。

 実はこの試写は河野夫人の村上さんとご一緒したのですが(ご主人だけ見て奥方はまだだったので)、見終ったあと一服したおり感想を求めると、
 「私はトニー・レオンの熱烈なファンなので、ただ彼に見とれていました」
 とのこと。彼女にはレオンの知的端正さと気品のある色気がなによりも魅力のようです。
 「確かにあの手の俳優は今の日本にはいませんよね。昔だったら森雅之かなあ」
 と私が水を向けると、
 「そうそう、森雅之ね」
 と同意していただけたようでした。昔の日本映画界には森、芥川比呂志、岡田英次、木村功など渋くて翳のある俳優が何人もいたものなのに。

 その夜、キネマ旬報1月下旬号の「ラスト、コーション」巻頭特集を読んでいたら、映画評論家の黒田邦雄さんが、
 「私はずっと前から、レオンのセックス・アピールは森雅之のそれに似ていると思ってきた」
 と書いているじゃありませんか。偶然の一致というか、私の思いつきが裏付けされたようで、深夜、ひとりで快哉を叫んでしまいました。

 「ラスト、コーション」は2007年度ヴェネツィア映画祭グランプリ《金獅子賞》受賞作品です。しかし、カンヌやヴェネツィア映画祭に足繁く通っているフリー・ライターの佐藤友紀さんの話だと、発表のテレビ中継を見ていた記者団のなかからブーイングが起こったとか。いったいどうして?
 同じリー監督作品で2年前のグランプリ受賞作「ブロークバック・マウンテン」を上回る出来とは思えなかったから?去年もジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌」で、3年連続中国系監督の作品がグランプリに輝いたから?
 優れた作品でも評価が一様でないから面白いんですね。

-----------------------------------------------------------------

★『ラスト、コーション』 
2008年2月2日 シャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマほか全国一斉公開 !

(C)2007 HAISHANG FILMS/WISEPOLICY

-----------------------------------------------------------------

 

12:27 | コメント (0)

 遅蒔ながら2008年の新春を寿ぎたいと思います。ことしもよろしく私のホーム・ページとお付き合いくださるよう、お願い申し上げます。

 ところで本年1月は、連日の試写室通いからスタートしました。7日、「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」、8日、「ラスト、コーション」、9日、「アメリカン・ギャングスター」と立て続けに見てしまいました。

ジョニー・デップと
ヘレナ・ボナム=カーター
 なかでも「スウィーニー・トッド」は、ブロードウェイ・ミュージカルの金字塔的舞台(1979)の映画化で、ひときわ私の注目度の高い作品です。他のふたつは機会を改めるとして、まず「スウィーニー・トッド」から。

 それにしても「スウィーニー・トッド」ほど奇怪な物語はありません。パリ・オペラ座の地下に棲みついた亡霊?が主人公の「オペラ座の怪人」も顔負けです。
 19世紀初め、産業革命後期のロンドンはまさに百鬼夜行、なんでもありの都市だったのでしょう。そのロンドンの一角フリート街に、2階は理髪店、1階はミート・パイの店という一風変わった建物がありました。2階のあるじスウィーニー・トッド(ジョニー・デップ)は、ロンドンでいちばんの剃刀使いを、1階の女主人ミセス・ラベット(ヘレナ・ボナム=カーター)はこの大都市でもっともおいしくないパイの作り手をそれぞれ任じていました。
 ところが、ある日突然、ミセス・ラベットのミート・パイがおいしくなり店が大繁昌し始める。トッドがのどを掻き切ったお客たちを材料にするようになったのが、きっかけです。ここまで話がグロテスクだと思わず吹き出してしまいます。怪奇は突き詰めるとユーモアに転じるという化学変化?があるのかもしれません。それゆえ、私たち観客はこのような奇怪な物語に喜々として戯れることができるのでしょうか。

 「スウィーニー・トッド」は本質的に復讐譚です。トッドが狙っているのは、わが妻を奪い、彼自身を15年間も牢獄に閉じ込めた悪徳判事(アラン・リックマン)。判事はトッドの愛娘にも横恋慕しているのですが、その彼女にトッドの若い友人の船乗りが恋い焦がれます。このサイド・ストーリーが純で美しい。血なまぐさいトッドとミセス・ラベットの関係を純化するのに役立っていると思われます。

 いったいなぜ私たちは、この奇怪極まる物語に快哉を叫ぶのでしょう。弱い立ち場の人間が突っ拍子もない一計を案じて悪の権化に立ち向かっていくという敵討ちの物語だからです。
 ふと気がつけば、今の日本にだって政治家、経営者、官僚など権威の仮面をかぶった悪い奴等がいっぱいいる。
 ブッシュ大統領のやっていることだって正しいかどうかきわめて疑わしい。
 スウィーニー・トッドのような奴が出てきて悪を退治してくれたらと、この映画を見ながら、いつかトッドに同化してしまうのは私ひとりではないでしょう(トッドの場合、巻き添えが出るのが困りものですがね)。

主演男優賞に輝いたデップ、
剃刀を鏡代わりに自分を凝視する。
 ところで、日本での公開にあたり、もっぱら注目を浴びているのは監督のティム・バートン、主演のジョニー・デップです。このふたりがぴたり呼吸を合わせたからこそ、このような隙のない傑作ができあがったのです。デップの歌いぶりは一種のへたうまでしょう。歌唱的に出色の出来のはずはないが、自然体のせいか、いつの間にか聞き惚れてしまっている。本職のミュージカル俳優でない場合は、これで十分。

 そうだ、ここで私が書きたかったのは、もとのミュージカルの作詞作曲者スティーヴン・ソンドハイムのことです。映画宣伝としてはバートン、デップに焦点が当てられるのは当然のこととはいえ、ソンドハイムが無視され過ぎるのは困りものです。ミュージカル映画であることが前面に出過ぎると、興行上、不利になるという配慮が働いているふしもあるでしょう。そこでひとこと--。

 スティーヴン・ソンドハイムは、アメリカでもっとも尊敬を集めているミュージカル作詞作曲家です。アメリカのシューベルトと呼ばれているくらい。ブロードウェイへいってごらんなさい。「キャッツ」「オペラ座の怪人」の作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーの100倍ぐらい評価が高い。
 ロイド・ウェバーは、「なに、プッチーニの物真似じゃないか」
 のひとことで片づけられてしまいます。
 トッドの美しい可愛らしいひとり娘を称える「ジョアンナ」(若い船乗りも悪徳判事も歌います)ひとつとっても、歌詞と旋律の見事な融合に耳を傾けずにいられません。
 ソンドハイムの歌詞、曲はともに知的洗練味に包まれています。聞く者に迎合する甘ったるさは皆無です。それだけに高踏的という批判もないわけではありません。
 ソンドハイムは人間の内面、とくに暗部にメスを入れてきた作詞作曲家です。たとえば彼の代表作「Assassins」は、大統領の暗殺者たちを主人公にしています。
 映画「スウィーニー・トッド」の成功は、ソンドハイムとティム・バートンの間に人間の心の奥底に潜む闇を凝視するという共通性があったからこそ、もたらされたのではないでしょうか。バートンが、人間の孤独や傷つきやすさ、精神的なゆがみなどに固執する映画作家であることは、「エド・ウッド」「シザー・ハンズ」を見れば歴然たるものがあります。

 原作のミュージカルは、日本では最近は2007年1月、日生劇場で上演されました。主役は市村正親、大竹しのぶ、演出は宮本亜門。「屋根の上のヴァイオリン弾き」次女役をちらりとやったくらいで、本格ミュージカル挑戦は初めてというのに、したたかなミス・ラベット像を作り上げた大竹が印象に残っています。
 宮本の舞台造形は、ハロルド・プリンス演出のブロードウェイ・オリジナル・プロダクションと酷似しているところ多々あり。私の友人にはコピーだと息巻いている人もいたくらいです。ちなみにプリンス演出、ジョージ・ハーン、アンジェラ・ランズベリー主演の舞台は映像化されていて、たやすく入手できます。

 ソンドハイム作詞作曲の楽曲は、言葉と音楽が微妙な呼応、間合いで一体化しています。それだけに日本語訳を音楽に載せるのが難しい。日本語で聞くと耳に入りにくいきらいがあります。
 もちろん、今回の映画では英語で聞くことができるわけですから、ソンドハイムの楽曲の際立った美しさ、楽しさを心ゆくばかり味わい尽くせます。意味は字幕でじゅうぶん理解できる。映画「スウィーニー・トッド」のお蔭で、私は半歩か一歩かソンドハイムの神髄に近づけたような気分に浸っています。

 と、ここで映画「スウィーニー・トッド」については終わりにしようと思ったところへ、ゴールデン・グローブ賞作品賞(コメディー/ミュージカル部門)、同部門主演男優賞(もちろんジョニー・デップ)の受賞のニュースが飛び込んできました。
 こいつはめでたい。年初のブログでこの作品をとり上げた私まで縁起がいいわい。

 

11:32 | コメント (0)

« 2007年12月 | メイン | 2008年02月 »