気紛れDIARY
: 安倍 寧 Official Web Site

 流行は移ろいやすい。万物のなかでもとくにポピュラー音楽は、常にはやりすたりのリスクに晒されている。そのようなポップス界にあって60年代初めから第一線に立ってきたシルヴィ・ヴァルタンのような歌手は例外的といえるだろう。そのヴァルタンが、先ごろ来日し、東京で3回、ステージに立った(3月28、29、30日、オーチャードホール)。私が聞いたのは、2日目の29日。声に驚くほど艶があったし、20代の昔を思い出させる身軽さでツイストほかのダンスをこなしてみせた。

シルヴィの新譜
「ヌーヴェル・ヴァーグ」
 前回、2005年3月に来日したときはダンサーを率いてのショウアップされた舞台だったが、今回は歌一本で勝負に出た。そして、それが見事成功していた。からだ全体から発散させる若々しさは、とても1944年生まれとは思えなかったほどだ。お見逃しの向きが多いと思うので、新アルバム「ヌーヴェル・ヴァーグ」をお薦めしておく。

★UNIVERSAL INTERNATIONALオフィシャルサイト
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/

 なお、以下の“シルヴィ・ヴァルタン小論”は、今回の公演プログラムに私が寄稿したものです。

【60年代を原点に“しぶとく”生き続けるおとなのエンターテイナー】

 シルヴィ・ヴァルタンと聞くと、つい私はその名前の上に“しぶとい”という形容詞をつけたくなる。ヴァルタンは、60年代初め、フランスのみならず広く国際的な人気を誇るアイドル歌手だった。しかし、その後も、第一線を張り続け、40数年後の今日なお、現役ばりばりの活躍を見せている。なんというしぶとさ!

 アイドル歌手という存在は、時代々々の徒花である。ぱっと咲いてぱっと消える--それが彼等彼女等の運命というものだ。30年も40年も現役を張り通すことなど、まずあり得ないことだろう。

 はかなさこそアイドル歌手の“勲章”というわけだが、その勲章を得るためには、一世を風靡する人気が前提となる。主演映画「アイドルを探せ」とその同名の主題歌によって、ヴァルタンは日本でも一大旋風を巻き起こした。以下は、1965年5月、彼女が初来日したおり、私が本人をインタヴューし、週刊朝日に寄稿したコラムからの引用である。たまたま同時期にアメリカからやってきたミッチ・ミラー合唱団と比較しつつ、次のように書いている。
 「音楽的内容、おとなっぽいショウマンシップということになれば、ヴァルタンは、ミッチ・ミラー合唱団の足もとにも近づき難いが、彼女が、ハイティーンのファンの間に巻き起こした異常な興奮は、やはり注目に値する。

 ロックン・ロールに国境はないということを、彼女の舞台が如実に証明したからだ。

 おなじみのヒット曲『アイドルを探せ』を歌ったとたん、かぶりつきにカメラを持って殺到したのは、報道陣ではなくファンばかり。なかには8ミリ・シネをまわすもの、携帯用テープレコーダーで録音をとるものも現われる仕末だった」
 8ミリ・シネとテープレコーダーが当時の客席の情況をほうふつとさせてあまりある。ちなみに記事の表題は「パリの若者たちのアイドル/シャンソンの国から来たロック歌手」だった。

 当時、私はパリといえばシャンソン、シャンソンといえばエディット・ピアフ、ジュリエット・グレコ、イヴ・モンタンだったから、パリからやってきたロック歌手には素直になじめなかった。いわば固定観念にしばられていたので、記事のなかにはちょっと意地悪な個所もなくはない。
 「ベル・エポック(古きよき時代)のシャンソンって知ってる?とたずねたら、返ってきた答えは『ノン』。ピアフやグレコについても名前は知っているけれども、実際に歌は聞いたことがないそうだ」

 もっとも、日本のシャンソン界のスター歌手で本場の事情にもくわしかった高英男などは、当時からこういっていた。
 「今、パリで成功しようと思ったらロックンロールが歌えなければ問題にされない」と。

 64年1月、ビートルズがパリ・オランピア劇場で公演をおこなった際、ヴァルタンはその前座をつとめている。この事実は、当時の彼女の人気を裏書きすると同時に、長い歌手人生のなかでも誇るべき1頁であること間違いない。

 ただ60年代のヴァルタンのヒット曲は、伝統的なシャンソンと比較するとビートが強調され過ぎていて伴奏も騒々しかった。これは本人自身が語っていることだが、守旧派からシャンソンの重要な要素のひとつ、歌詞をないがしろにしていると批判を浴びせられたという。

 しかし、今、振り返ってみると、ヴァルタンの出現は時代の変化を反映した必然的な出来事だったと思えなくもない。

 デビュー当時、シルヴィ・ヴァルタンは“イエイエ・ガール”の代表と見做されていた。イエイエとは、音楽はロックンロール、ファッションはモッズ調に代表されるライフ・スタイルである。60年代のフランスの若者たちの心を捉え、この国全体を席捲した。
 ヴァルタンは時代の最先端をいくシンボルだったということだろう。

 そんないつ散ってもおかしくない時代の徒花が、どうして21世紀まで生き長らえることができたのか。長丁場のステージをひとりで持ち堪えられるワンウーマン・ショウの歌手に成長することができたからだ。花の命は短くて……のいっときの人気歌手から、花もあるが実もある実力派のエンターテイナーへ、その逞しい変貌ぶりは誰にもできる業ではない。

 ワンウーマン・ショウを成功させるためには、いくつもの難しい条件が、ショウの中心的存在のそのスター歌手に課せられる。休憩あるなしにかかわらず、2時間ないし2時間半の舞台を維持しなくてはならないわけだから、かなりの数の、しかもヴァラエティに富んだ楽曲をマスターしなくてはならない。構成・演出上、ダンスやちょっとした演技を必要とすることもあろう。

 場合によってはオーケストラ、コーラス、ダンサーらが参加するが、それら大所帯をひとつにまとめ引っ張っていくカリスマ性が、歌手自身に備わっていなくてはなるまい。でなくて客席を興奮と感動のるつぼに投げ入れることなどできるわけがない。

 幸いフランスにはどこの国よりショウやレヴューの伝統がある。ショウ仕立てはお家芸だから、ヴァルタンを手助けするスタッフに恵まれたのではなかろうか。

 シルヴィ・ヴァルタンは、ことし2月、パリでもっとも新しい舞台「ヌーヴェル・ヴァーグ」を世に問うた。これにちなんでリリースされた同名のアルバムを聞くと、60年代をおのずと連想させずにおかないカヴァー楽曲が、ずらりと並んでいて、これはと思わせる。かつての夫君ジョニー・アリデー「スーヴニール・スーヴニール」のほか、ボブ・ディラン「風に吹かれて」、ザ・ビートルズ「ドライヴ・マイ・カー」などなど。

 「60年代はわたしの原点よ」
 という彼女の確たる主張がプログラムの向う側に透けて見えるような気がしないでもない。
 ヴァルタンが、60年代をどう見据え、それを現在、未来にどう繋げているか、そこが今回のショウの見どころではなかろうか。

 

18:01 | コメント (0)

« 2008年03月 | メイン | 2008年05月 »