気紛れDIARY
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1979年 マイケル・ベネット来日の折、
劇団四季稽古場にて。
左より2人目 マイケル・ベネット
5人目 トム・マイケル・リード
6人目 筆者。
 現実はフィクションより何倍も何10倍も迫力がある。そのことを骨身に染みるほどわからせてくれるドキュメンタリー映画が、この秋、登場します。
 「ブロードウェイ♪ブロードウェイ/コーラスラインにかける夢」(監督ジェームズ・D・スターン)がその作品です。ブロードウェイ・ミュージカル史上ひときわ光輝く「コーラスライン」の楽屋裏が、とことん白日のもとに晒されるのですから、堪えられません。ミュージカル・ファン、その関係者はもちろんですが、なんらかの意味でエンターテインメントに興味を抱いている人、係わっている人は必見でしょう。

 「コーラスライン」ブロードウェイ初演は1975年、その後、90年までシューバート劇場に居すわり続け、6,137回のロングラン記録を残しました。
 この傑出した舞台がリヴァイヴァル上演されたのは2005年のこと、もちろん現在も続演されています。

 「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」は、このリヴァイヴァル上演の際のオーディション風景を主たる原材料としているのですが、しばしば初演のおりの未発表フィルムが差しはさまれます。とくに生みの親(原案・振付・演出)マイケル・ベネットの映像は貴重でしょう。

 現時点でのインタヴュー映像には、ベネットの恋人で、「コーラスライン」ヒット後、ごく短い期間ですが、結婚生活もともにしたドナ・マケクニーも出演しています。彼女は、初演の際、主役キャシーを演じているのですから、これ以上の証言者はないと思います。

 という具合に時空を超えた巧みな構成・編集があったればこそ、このドキュメンタリー映画は興味津々の出来上がりとなっているというわけです。

 「コーラスライン」日本初演は、1979年、日生劇場。劇団四季の公演で浜畑賢吉、飯野おさみ、市村正親らが出演しましたが、前田美波里や宝塚を退団して参加した室町あかね、北原千琴らもキャストされました。
 実をいうと、当時、私は劇団四季企画・国際部門担当取締役で、上演権獲得の当事者でした。振付・演出は、マイケル・ベネットが全面的信頼を置いていたトム・マイケル・リード。初日、4、5日前にベネット本人もやって来て、ブラッシュアップをしてくれたものです。

 その後、間もなくベネットもリードもエイズに侵され、あの世へいってしまいました。ベネットはバイセクシャルでしたが、どちらかというと同性愛傾向が強かったと思われます。

 なお、今回の映画公開に当たり、マスコミ用パンフレットに小文を寄稿しましたので、以下にそれを併載しておきます。ご一読を。

「コーラスライン」の華やかなフィナーレ。 <オーディションに賭けるダンサーたちの血と汗と涙>

 オーディションに材をとったミュージカル「コーラスライン」が、06年、ブロードウェイで再演されたおり、ついでにそのオーディションの模様をフィルムに収めておいて、一本、ドキュメンタリー映画を作ってしまおうと思いついたのは、しかもそれを実際におこなってしまったというのは、かなり凄いことである。どこの誰が考え、やり遂げてしまったのか知らないが、その思いつきの卓抜さ、それを実行してしまった逞しさには舌を巻かずにいられない。

 平気で二兎を追うショウ・ビジネス精神のしたたかさとは、こういうことを指すのだろう。

 この映画、「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」がそもそもの原材料としている「コーラスライン」は、オーディションを丸ごと舞台化したという点で、多分、ミュージカル史上空前絶後の作品ではないかと思う。

 昔からブロードウェイ・ミュージカルは、好んでショウ・ビジネス業界の楽屋話をとり上げてきたから、その手のバックステージ・ミュージカルのなかにひと場面やふた場面、オーディション風景がなかったわけではなかろう。だが、全篇これオーディションのみという例は、「コーラスライン」よりほかに思い当たらない。しかも、そのオーディションが主役ではなく、主役のうしろで踊る端役のダンサーたちのためのものだというのが、際立ってユニークである。

 そもそもコーラスラインとはいったい何なのか。その他大勢のダンサーたちがちっぽけな役を求めて並ぶ行列のこと?それもあるだろうが、と同時にこんなふうにも考えられないだろうか。ダンサーたちがそれ以上前に出てしまうとスターを食ってしまうことになるので、決して出てはならない線のことだと--。もちろん舞台上に上手から下手にかけてそんな線がたとえば白く引かれているわけではない。にもかかわらず主役級の俳優たちとコーラスとの間には、そのような目に見えない境界線が間違いなく存在するものと思われる。

 ブロードウェイではこのようなダンサーたちのことをジプシーと呼んできた。ジプシーさながら舞台から舞台へとさまよい歩くからだ。もし「コーラスライン」が作られなかったら、下っ端のダンサーたちの人生が広く世間に知られることなどなかったにちがいない。

 ちなみに日本ではこの手の踊り子たちにはわんさガールという言葉が当てられていた。わんさか沢山いる女の子たちというほどの意味だろうか。「広辞苑第六版」にもちゃんと載っている。戦前の浅草レヴュウではもちろんのこと、私が日劇ダンシングチームの舞台を見出した戦後の昭和20年代でも、まだちゃんと使われていた。

厳しい稽古場風景。 天才マイケル・ベネットが原案・振付・演出しひとり3役で作り上げた「コーラスライン」は、ベネット自身の逸話や多くの現役ダンサーたちからの聞きとり調査がベースになっている。たとえば演出家ザックと女優キャッシーの部分はベネットと同棲相手ドナ・マッケクニーの実話とほとんどぴったり重なり合うというふうに--。しかも1975年のブロードウェイ初演時、このキャッシーをマッケクニー自身が演じたのだからややっこしい。私は「私小説ならぬ私ミュージカル」と書いたことがある。

 映画「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」のなかでも明かされているが、親に内緒でゲイボーイ一座に加わるポールのエピソードは、脚本を書いたニコラス・ダンテの実体験にのっとっているようだ。
 ポールの独白の場面は、ブロードウェイのオリジナル・キャスト、サミー・ウィリアムズを見たとき涙が込み上げたが、第1次劇団四季版での市村正親にもぐっときた。小首を傾げ片手をズボンのポケットに入れて、淋し気に告白を続ける市村の姿が忘れがたい。

 しかし、いくら事実に基づいているとはいえ、ひとたび舞台化されたその作品は虚構である。第一、応募者の身もとを根掘り葉掘り問い質すようなダンサー・オーディションが、実際におこなわれるわけがない。

 そこへいくと「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」で私たちが目の当たりにするオーディションの光景は、そっくりそのまま現実である。なにものにも替えがたい真実味がそくそくと胸に迫ってきても不思議ではない。

 繰り返しになるが、しかもそのオーディションは単なるミュージカルのためのものではない。端役ダンサーたちの選考を題材とした「コーラスライン」再演のためのものなのである。

 応募者が役柄にのめり込めばのめり込むほど、作中のオーディションと実際におこなわれるオーディションが掛け合わされ、画面に異様な熱気が漂うことになる。パスポートを手に入れた者と入れられなかった者との明暗がくっきりと浮かび上がり、青春の、更には人生そのものの哀歓を噛みしめずにいられない。

 画面からほとばしり出る青春の血と汗と涙を一身に浴びながら、私はふとこんな思いにとらわれたものだ。

 --日本の若者たちよ、「蟹工船」の過酷な労働と自らの生活を重ね合わせたところでなにになる?ブロードウェイの若いダンサーたちを見よ、夢を抱き挫折を恐れず、果敢に人生に挑む彼等の姿を見据えたまえ、と。

 そういえば映画のなかに「オーディションは終っても人生は続く」というフレーズが出てきたが、これこそ「コーラスライン」と「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」の両方に通底する力強いメッセージにほかならない。

 

23:59 | コメント (2)

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