気紛れDIARY
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 ことしも残り少なくなりました。あわただしい師走のなか読んだり見たりしたもののなかから、ひときわ印象の強かった作品を挙げ、年末のご挨拶がわりにしたいと思います。

石原慎太郎著「火の島」 まず石原慎太郎氏の新作「火の島」。76歳とは思えない大胆な構成と力強い描写に、心底圧倒されました。この希に見る大ロマンの軸となる男女は、片や企業の弱味につけ込み骨の髄までしゃぶり尽くす知能犯すれすれの暴力団幹部、もう一方は、ピアニストを夢見つつも建設会社の跡取り夫人に納まった才媛という意外な取り合わせです。

 ふたりの出会いは、題名の「火の島」が示唆しているように三宅島でした。男は島に生まれ育った漁師の子、女はこの島に赴任してきた灯台長の娘です。
 放課後、校庭で野球をやっていた少年の耳に、突然、訪れた美しいピアノの音色。それは転校してきた少女が、雨天体育館で弾いていたクラシック音楽の調べでした。やがて心を通わせ始めたふたりは、間もなくあの未曾有の火山爆発によって引き裂かれてしまう。
 長い歳月ののち、この男女が再会するのは、ヒロインの義父の告別式場ででした。それからのち彼と彼女との間にはなにが起こるのか。

 作者はこの小説を自らの「トリスタンとイゾルデ」に擬しているといわれています。運命の階段を急ぎ足で駈け下りるふたりは、まさに現代のトリスタンとイゾルデかもしれません。息する間もなく読み進むうちに、私の耳もとでワグナーのオペラの旋律が鳴り始めたのは単なる錯覚でしょうか。

 私は、週刊新潮連載「福田和也の闘う時評」で福田氏が絶賛していたので、この小説を手にしたのですが、読み出したらやめられず500頁あまりの大長篇を読了するのにめずらしく、徹夜までしてしまいました。
 それほど牽引力のあふれた小説なのですが、文章となると同じ字句が再三繰り返されるなど、かなり荒削りなところが目立ちます。ただし好意的に受け止めれば、それも大ロマンを進行させるための作為なのかもしれません。

 もしかすると版元(新潮社)は、小説の後半になんどか登場する濡れ場を売りものにしたいのか、帯に「官能のストーリー!」という文字が見えますし、私の周辺にもポルノグラフィックな部分を期待して読みたがっている向もいるようです。
 ところが、濡れ場に関するかぎり、作者の文章は美しく澄んでいて一種の気品さえ感じさせます。石原文学の最良の部分かもしれません。

 新作の舞台に三宅島を選んだことと石原氏が東京都知事の職にあることとは、多分どこかで繋がっているものと思われます。氏が都知事でなかったら、この小説は生まれたかどうか、興味深いところです。

 それはさて措き、氏の小説家としての猛々しさ、逞しさ、それらと併せ持つ瑞々しさ、木目こまやかさには改めて敬意を表さずにはいられません。

ベルリン・フィルの稽古風景
(中央)指揮者サイモン・ラトル
 エイベックス特別顧問、いわば同社映像事業本部のご意見番田中迪氏のお薦めで映画「ベルリン・フィル最高のハーモニーを求めて」を見ました。映画と並んでクラシック音楽にもひとかたならぬ造詣の持ち主(ゆくゆくはバイロイト近郊に居を構え、音楽三昧の生活を送ろうという人生設計を立てている)が、「ぜひとも」というのですから、千金、いや万金の重みがあります。

 この映画は、2005年、サイモン・ラトルの率いるベルリン・フィルがアジア6都市(北京、ソウル、上海、香港、台北、東京)を巡演した折りのドキュメンタリー作品です。各会場での演奏風景(客席も含む)、稽古の模様や楽屋裏、各都市の風物、指揮者・楽員たちのインタヴュウなどが交互に映し出されます(冒頭と最後に新規採用の楽員のオーディション場面も)。

 トマス・グルベ監督(以前、秀作「ベルリン・フィルと子どもたち」を撮っている)は、延べ300時間、ハイヴィジョン・カメラを回し、およそ2年間、編集に費し、この作品を完成させたという。楽屋での個人取材、街のたたずまい、ステージ上のオケと場面がめまぐるしく移り変わっても、なんら違和感がない。ただインタヴュウ場面は、もう少しお喋りを聞いていたいと思う個所が、いくつかありました。

演奏中の楽員たち つまり、それほど楽員たちの話が興味深いということなんですね。世界最高(あるいは最強)のオーケストラの一員であるというのは、どれだけ過酷なポジションなのかが、ひとりひとりの個性豊かな語り口で赤裸々になっていくわけです。
 演奏技術の研鑽ひとつとってもその大変さは容易に想像がつくことでしょう。
 オーケストラの一員である以上、頭を出し過ぎてはいけないし、かといって引っ込め過ぎているわけにもいかない。技術上の均衡だけでなく楽員間の気の遣いようも大切にちがいない。長いツアーに出れば、精神的に逼塞することも多いでしょう。
 加えて楽員たちの人種、国籍も多種多様です。当然、話題は広がるばかりです。

 私は、この映画のDVD(2009年3月発売予定)が出たらすぐに入手し、楽員たちの言葉をくわしく検証してみたい。それらの発言に見え隠れする真実は、多分、オケ以外の私たち一般社会にも通底するものでしょうから。

 この映画の見どころは数え切れないくらいいっぱいありますが、見落とせない側面は、現在の常任指揮者サイモン・ラトルとこのオーケストラの関係でしょう。かつてこのオーケストラに君臨し、オケそのものの象徴的存在だったヘルベルト・フォン・カラヤンにくらべると、カリスマ性にやや欠けると思われがちでしょうが、映画を通して見るかぎり、その統率力、牽引力はいささかの揺ぎも感じられませんでした。
 カラヤンが権威ある父親だったとしたら、ラトルは優しい心根の兄貴という印象でしょうか。しかし、現代音楽の「アサイラ」(トーマス・アデス作曲)を練習するときは、難しいリズムについて実に厳格な指示を出していました。

 映画のラスト近く、ラトルはベルリン・フィルを指揮することについて次のような感想をもらします。
 「これは絶対に絶てないドラッグだ。一生、私は中毒患者でいたい」
 指揮者にこういわしめるベルリン・フィルという存在はなんなのか。ひとりひとり異る生身の楽員がどう結びついたら、このような怪物が出来上がるのか。
 多分、このドキュメンタリー映画を100回くらい見れば、答えが見つかるのかもしれませんね。

 原題は「Trip to Asia」。ツアー中の演奏曲目は、ベートーヴェン交響曲第3番〈英雄〉、リヒャルト・シュトラウス交響詩〈英雄の生涯〉のふたつです。
 演奏場面ではビロードの色合いを連想させる重々しく、かつ滑らかな音色に耳をそばだてずにいられませんでした。

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写真提供/(c)Boomtown Media

 

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