気紛れDIARY
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 ミュージカル「ドロウジー・シャペロン/よっぱらいの花嫁介添人」(1月3~29日、日生劇場、翻訳・振付・演出宮本亜門)で久しぶりに生の木の実ナナを見ました。彼女の役はタイトルロールの花嫁介添人です。アルコールが入り過ぎていて、いつも眠たそうな花嫁介添人を実に自然体で演じていました。科白から歌へ、歌からダンスへと移り変わるときの間合いのいいこと。一見、軽く流しているように見えながら、決めるときは決めている。
 ミュージカル演技はこうでなくっちゃあ。

小堺一機(左)と藤原紀香 彼女とほぼ同じ呼吸で演技をしていたのは花婿介添人の川平慈英ぐらいでしょうか。結婚式の主催者役中村メイコの温りある個性、どっしりとした存在感、ツボを心得た芝居ぶりもさすがです。すべてにヴェテラン女優ならではの!

 テレビのワイドショウで盛んにとり上げられていたのはミュージカル初挑戦の藤原紀香ですが、特訓の甲斐あってか、なんとか惨憺たる有様からは逃がれられていたのはめでたい。点数を甘くつければ敢闘賞。肌の白いスレンダーな肢体は、かぶりつきでなくても、じゅうぶん目の保養になりました。

木の実ナナ(左)と藤原紀香 「ドロウジー・シャペロン」は、2006年のトニー賞ミュージカル部門でベスト・スコア、ベスト・ブックに輝いた舞台です。狂言回しのような“椅子の男”というのが出てきて、20年代のミュージカルはほんとうによかったと思い出に浸ると、当時の舞台の有様が、そっくりそのまま再現されます。ブロードウェイではこの“椅子の男”を脚本のボブ・マーティン自身が演じ、実にいい味を出していました(日本版では小堺一機、軽妙洒脱とまではいかなかったが、割合はまっていて一安心)。

「ドロウジー・シャペロン」は、極端にいうと結婚騒動に材をとった同名の劇中劇なんかどうでもいい。孤独でゲイのミュージカル・オタク、“椅子の男”が見ものなんです。劇中劇にしゃしゃり出ていったり、新旧ミュージカルについてコメントしたり、目が離せません。
 近ごろのミュージカルは革命や戦争が好きだというひとことは、キャメロン・マッキントッシュ製作のロンドン・ミュージカル「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」をすぐに連想させます。
 なにかというと出演者を客席から出す……というのは、「ライオン・キング」の演出家ジュリー・テイモアに対する当てこすり?(まさかわれらが蜷川幸雄を意識しているわけではないと思うけれど)

 多分、演劇評論家の扇田昭彦さんあたりがいい出したのでしょうが、舞台を論じるときに使われる言葉に“入れ子構造”というのがあります。ひとつの作品のなかにもうひとつ別の作品(つまり劇中劇)が入っている、そういう構造の作品のことです。「ドロウジー・シャペロン」も例外ではありません。
 とくにこのミュージカルでは、劇中劇の面白おかしいところにばっかり目を奪われていると、“椅子の男”の科白に込められたメッセージ性を見失うことになるでしょう。

 「ドロウジー・シャペロン」のメッセージは単純ですが、きわめて力強い。“椅子の男”が往年のミュージカルにこと寄せて強調するのは、ミュージカルにはブルーな気分を吹き飛ばしてくれる力がある、まさに人生の応援歌だということに尽きると思われます。

 なお公演パンフレットに寄稿した小文を以下にUPしておきます。ご一読を。

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藤原紀香を中心に。
(一番左)中村メイコ
 <Broadway 1928>
ミュージカル「ドロウジー・シャペロン」のなかにはめ込まれている同名の劇中劇、すなわち進行役の“椅子の男”が愛してやまない舞台は、1928年、ブロードウェイ初演という設定である。

 彼が、この名作?のオリジナル・キャスト盤にそっと針を落とすと(LPですからね。あえてLPなのはCDが発売されていないから?それとも彼のこだわり?)、いかにも20年代風の衣裳をまとった出演者たちが、眼前に立ち現われる。この趣向は、皆さんがとくとご覧の通り!

 劇中劇が28年初演という証拠?は、2006年にブロードウェイに登場した「ドロウジー・シャペロン」オリジナル・キャスト盤(こちらはCD。もちろん劇中劇部分も収録されている)に見出すことができる。ライナーノートに劇中劇のオリジナル・アルバム(男が舞台で鳴らすLPですな)のジャケット写真が、ばっちり紹介されていて、 ‘Remastered From The Original 1928 Recording ’
 とあるからだ。ほかにも、
 ‘JULE GABLE & SIDNEY STEIN'S BROADWAYCLASSIC ’やら‘Deluxe Collector's Edition’やら大仰な文句がジャケ写の上に躍っているが、こんなトリックにだまされてはいけない。アルバム・ジャケット自体、フェイクなのだから。
 ゲーブルだスタインだという作詞家作曲家もいなかったし、「ドロウジー・シャペロン」という作品自体、存在しなかった。すべておとなのお遊びである。
 そのことを承知の上で、1928年という年にブロードウェイでどんな作品が初演を迎えているか、歴史的事実(というほど大げさなことではありませんが)をちょっとチェックしてみたい。

 さいわい手もとにGlenn Loney 編著「TWENTITH CENTURY THEATRE」という2冊本がある。1900~79年の長きにわたり英米両国での初演舞台を網羅した年代記である。
 1983年の刊行当時、ニューヨークのドラマ・ブックショップの店員にすすめられて購入した。2冊分売せず、60ドルは当時としては安くなかったが、時折、調べものをするのに大いに役立つ。

 28年、アメリカで初演を飾った作品は、ストレートプレイ、ミュージカル、レヴュウを含めて36本を数える。一、二の例外を除き、すべてブロードウェイでのプレミアである。 この年一番乗り、1月3日に開幕した「シーズ・マイ・ボーイ」(のちに「ボーイズ・フロム・シラキュース」「パル・ジョーイ」で名コンビぶりを発揮する作詞ロレンツ・ハート、作曲リチャード・ロジャースの手になる)は、「わずか9週間で終る」と記されている。公演回数でいえば70回ぐらいか。
 日本での興行のあり方からすれば9週間でも凄いということになるが、当時すでに100回単位のロングランが何本もあるので、短命の部類に入れられても、まあ仕方ないのかもしれない。

 以下、28年初演のミュージカル・ヒット作を列挙しておく。

 「ロザリー」。ヨーロッパのさる王妃とアメリカ空軍士官との恋物語で、音楽は売れっ子のジグムンド・ロムバーグが完成できず、新進ジョージ・ガーシュウィンが補足した。335回。
 「三銃士」。ご存知アレクサンドル・デュマの小説に基づく。ルドルフ・フリムルはロムバーグと並んでオペレッタの流れを汲む作曲家として知られる。318回。次いでロンドン公演あり。
 「ブラックバード1928年版」。ミュージカルではなくレヴュウだが、ブロードウェイで大当たりをとった最初のオール・ブラック・キャストの舞台なので挙げておく。518回。
 「ニュー・ムーン」。台本作者のひとりに、後年、リチャード・ロジャースと組み「オクラホマ!」「南太平洋」「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」を書いたオスカー・ハマースタイン二世の名前がある。フランスの革命派貴族とニューオーリンズの商家の娘とのロマンス。試演期間中は不評だったが、「恋人よわれに帰れ」「朝日のごとくさわやかに」が書き足され、成功に結びつく。500回。ロンドンでも上演される。
 「ホールド・エヴリシング」。王座と恋の両方に賭けるボクサーの物語。412回。ロンドン公演あり。
 「フーピー」。タイトルは挿入曲のひとつ「メイキン・フーピー」(馬鹿騒ぎ)による。神経症治療のためカリフォルニアを訪れた男が主人公。この役を超人気喜劇俳優エディー・キャンターが演じた。379回。

 ところで、以上6作品のうち「ロザリー」「三銃士」「フーピー」の3作品を世に送り出しているフロレンツ・ジーグフェルドという人物に、ここで注目しておきたい。彼は、1907年以来、この世を去る32年まで自らの名前を冠した「ジーグフェルド・フォーリーズ」を製作し続け(死後も57年まで断続的に公演がおこなわれた)、レヴュウ王の名を欲しいままにした。しかし、実情は541回のロングランを記録した22年版がピークで、その後、下降線をたどり始めていた。

 24~25年版で一時的に盛り返すものの(520回)、27年には167回にまで落ち込んでいる。この同じ27年にジーグフェルドが、ブロードウェイ史上初の本格的ミュージカル「ショウボート」を世に問うているのは、時代が転換期に差しかかっていることを敏感に察知したからにちがいない。

 歌とダンスの場面にいくら金をそそぎ込もうとも、カーテン前の笑いの場面にいくら達者な芸人を連れてこようとも、観客はレヴュウとは異るなにかほかのものを求めている--優れた興行師の勘で、その匂いを嗅ぎとっていたのだろうか。

 なおこの大プロデューサーについては2本の映画「巨星ジーグフェルド」「ジーグフェルド・フォーリーズ」(ともにビデオ化されている)が、大いに参考になるだろう。
 断わっておくが、時代はレヴュウか本格的ミュージカルかという二者択一で進んでいたわけではない。レヴュウから今でいうところのミュージカルに移行する過程で、物語としてはご都合主義、音楽的にはオペレッタを踏襲した作品が次々と作られていた。先の28年初演の、黒人レヴュウを除く5作品など、ミュージカルといってもまさにその手の舞台だったのではないか。

ビデオ2本
「ジーグフェルド・フォーリーズ」(左)と
「巨星ジーグフェルド」
 スタンリー・グリーン著、青井陽治訳「ブロードウェイミュージカルのすべて」(原題「Show by Show」)は、「ショウボート」について、
 「軽薄なミュージカル・コメディーとも重苦しいオペレッタとも違う、独自の方向を切り拓いた作品が誕生し、ミュージカルの歴史に燦然と輝く里程標が打ち立てられた」
 と高く評価しているが、ハマースタイン二世(台本・作詞)、ジェローム・カーン(作曲)によるこの傑作は、当時としてはむしろ例外的な作品だったろう。しかし、いいものはいい。観客の心を捉え、572回の大ヒットとなった。

 それにしてもレヴュウから時代の先端をいく本格的ミュージカルまで手広く手掛けたジーグフェルドは、つくづく偉大な存在だったと思われる。
 という感慨にたどり着いたところで、話を「ドロウジー・シャペロン」に戻すとしよう。
 1928年というと、さすがに私も生まれていないので、手に入る資料から想像を逞しくする以外にないのだが、このミュージカルの劇中劇は、楽天的な筋書き、スラップスティックに徹したお笑いネタなど当時の作品を特色づけていたルーティンを踏まえつつ、更にそれに磨きを掛けた見事な仕上がりを見せている。

 時に観客はナンセンスを渇望する。しかし、そのナンセンスには職人芸の裏付けが必要である。プラスして装置、衣裳に洗練されたデザイン、美しい色調があれば越したことはない。ノスタルジックな音楽、軽快で粋なダンスも欲しい。ブロードウェイのオリジナルの舞台には、あの時代を連想させるそれらすべてがあった。日本版にも大いに期待していますよ。
 28年は美術史的にはアール・デコの真っ只中である。直線的な幾何学模様が舞台美術には不可欠だろう。

 余談ひとつ。典型的アール・デコ建築のひとつにニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールがあるが、昔、現地の友人にこう教わった。
 「ロケットガールなんてどうでもいい。地下のトイレをじっくり見学するがいい。アール・デコの美を知りたければね」
 ちなみにラジオ・シティ建設が計画され、着手されたのは、29年に始まった世界大恐慌の初期段階だったということだ。

 実は「ドロウジー・シャペロン」でひとつ気になったことがあった。“椅子の男”が聞いているLPがオリジナル・キャスト盤である以上、初演当時、録音された音源があるということだし、時代が時代だからSP盤だとしてもその手のレコードが発売されていたということでもある。果して歴史的根拠はあるのか。

 先ほどの「Show by Show」をひもとくと、1919年初演の「アイリーン」、20年初演の「サリー」では、何曲収められていたのか不明だが、公演とほぼ同時にオリジナル・キャスト盤が発売されていたことが記されている。
 初演俳優陣によるレコード化、ロングラン、ロンドン進出と、ブロードウェイには昔からすべてがあったことが窺われ、改めて愕然とせずにいられない。

 

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