気紛れDIARY
: 安倍 寧 Official Web Site

今回は、4月に宝塚歌劇団を退団されたばかりの安蘭けいさんをお迎えしてのスペシャル対談です。圧倒的な歌唱力で、星組トップスターとして活躍した安蘭さん。8月には、The Musical「AIDA アイーダ」(脚本・演出木村信司、作曲・甲斐正人)のタイトルロールで女優デビューを飾ります。

オフィスで安蘭けいさんと<宝塚を“卒業”して>

安倍 宝塚“卒業”おめでとうございます。

安蘭 ありがとうございます。

安倍 卒業をどんな心境で受けとめましたか?

安蘭 宝塚という重いものを背負っていた感じがなくなり、羽根を背負わなくてよくなったような、解放感がありますね。

安倍 あの大階段を下りなくてもいいですし。大階段は何段あるのでしたっけ?

安蘭 26段です。大階段を下りるのは、本当に怖かったんですよ。1段の幅は24センチ。爪先が出てしまうので、踵をしっかり踏みしめながら下りるんです。

安倍 下を見ないで、客席に目線を保ちながら下りられるようになるには、どれぐらいかかるんですか?

安蘭 それこそ何年かかっても、足元を見ないと下りられない方もいます。私も時間がかかったほうですね。でも逆に、足元を見て下りるほうが怖いんですよ。
 (同席していた「アイーダ」担当の梅田芸術劇場・篠原江美さんは、実は安蘭さんより8年先輩の宝塚歌劇団の69期生。安蘭さんの話に何度もうなずきながら、「階段下りに慣れるのには、5年ぐらいは最低かかります。でも慣れると、一気に足元を見ないで下りられるようになるんですよ」と)
 感覚で覚えるようになるんです。でも、実は大階段に上がるための、舞台裏の階段のほうが怖いんですよ。昔は途中までしか手すりがなくて、裏で落ちちゃう人がいましたよ。

安倍 結局、宝塚歌劇団には何年、在籍していたんですか? 

安蘭 19年目で卒業しました。

安倍 いずれは辞めなくてはならないというのは、数年前から決めていたこと?

安蘭 自然な決断でしたね。初めは自分の中で、10年いればいいかなと思っていたんです。11年目で、もしうまくいけばもう少し頑張ってと…。それが主演の男役になったのが研16(入団16年目)だったもので、その時は1作品主演できたら、もう辞めようと思っていました。心の準備はしていました。

安倍 そのころから、退団後は外の芸能界で羽ばたこうと決意していたのかな?

安蘭 宝塚にいるときから、難しい人間関係やお付き合いがいろいろあって、それなりに苦労していました。ですから、自分のモチベーションが退団してからも続くだろうかと不安もあって、実は舞台とは全く違うことができたらいいなとも思っていたのですが…。実際はできることがほかに何もなかった。私には舞台しかできることがなかったし、何より舞台が好きだったんです。

安倍 ぼくが宝塚の舞台を一生懸命見ていたころのトップスターは淀かほる、明石照子、寿美花代とかなんだけど、そういう人たちはみな、「惜しまれつつ退団しました」という挨拶が決まり文句だったんですよ。このごろは、トップスターの交代が早いよね。今は自然と押しだされる感じなのかな?

安蘭 昔は10年間、トップスターをやっていた方もいらっしゃいましたが、今は一時代を築く前に辞めてしまうこともありますね。下級生があがってきますし、循環がよくないといけないと思います。

The Musical「AIDA アイーダ」
写真提供:梅田芸術劇場
<「アイーダ」で決意>

安倍 「男役トップスターは退団後、普通の女優に転身するのが難しい」といわれているし、これから苦労もあるだろうけど、安蘭さんの場合は、在団中に男役スターでありながらアイーダという女性の役で、大作に出演する機会があったのはラッキーでしたね。それを退団後第1作に選ばれたのは、自然の流れのように感じます。

安蘭 そうですね。でも、宝塚の作品ですから、辞めてまたできるとは思ってもいなかったですね。「アイーダ」は、退団発表前にお話をいただいたのですが、そのときはまだ女優をやろうとは決めていなかったんです。「アイーダ」のお話がきたことで、「女優を、舞台をやれ、ということなのかな」と決断できました。もし最初にいただいたのが「アイーダ」ではなく全然違う作品だったら、「少し考えます」と申し上げていたかもしれません。アイーダは宝塚時代から好きな役だったので、「またアイーダができるならやってみようかな」と思えたんです。

安倍 外の世界に出て、ブロードウェイ・ミュージカル日本版かなんかでいきなり女優をやるより、繋ぎのようなかたちで、宝塚でやった作品を、今度は男優たちと共演できる。第一作を「アイーダ」がいいと考えた人はなかなかアイディアマンだと思いますよ。

安蘭 「アイーダ」(宝塚版題名は、「王家に捧ぐ歌」)という作品は、演じている私たちやファンの方もとても好きだったのですが、演劇関係の方にもすごく好きな方が多かったようです。梅田芸術劇場の小川友次社長も作品がお好きだったそうですよ。

安倍 「アイーダ」は、エジプトで囚われの身になっているエチオピアのプリンセスが、敵国のエジプトの将軍と大恋愛するという、とてもドラマチックな話ですよね。宝塚時代はどういう感じで役と取り組んだのですか?

安蘭 もう、夢中でしたね。男役でしたから、役を掘り下げることの前に、娘役をやらなくてはならないと夢中でした。出したことのない声と音域で歌い、所作もすべて一から勉強。やったことのないことだらけだったので。

安倍 女性としての歩き方から勉強したわけですね。

安蘭 本当にそういう基本的なことに精一杯な感じでした。もともと女性のはずなのに、男役をやり続けていると、それぐらい女性を演じられなくなっているんです。日常も、少々男っぽかったのかもしれませんが(笑)。

安倍 どうしてどうして。安蘭さんとはごく最近お知り合いになったのですが、普段お会いしていても、おとなの女性の雰囲気があって、とても魅力的です。
ところで、男優たちとアイーダを演じるのは雰囲気的にずいぶん違うでしょうね。

安蘭 歌稽古をしたのですが、男の人の声って、太いというか、厚みがあるじゃないですか。歌をハモっていても全く違うんですね。

安倍 いい気持ちでしょう?

安蘭 そうですね。自分がより女性に思えてきて(笑)。ああ、男性と演じるのはこういう感じなんだと。

安倍 宝塚版とは変わりそうですか?

安蘭 変わると思いますね。宝塚で演じた時より、エチオピアの王女として、人を愛するひとりの女性として、アイーダの役をもっと深く感じられるんです。一度演じた分だけ、ほかのみなさんよりスタートは早いのですけど、立ちどまらず、追いつかれないよう進んでいかなくてはと思います。

安倍 男性と共演するのは、初めてですよね? 戸惑いましたか?

安蘭 戸惑うというか…、まだ、恥ずかしい感じで…(笑)。

安倍 あはは、本音が出たな(笑)。

<これから女優として>

安倍 今後は、幅広く芸能活動をやっていかれると思いますが、特に舞台での活躍を期待されているんじゃないかな。最近の宝塚のトップスターで、安蘭さんほどの歌唱力がある人はいないという評判です。

安蘭 いえ、いえいえ、そんなことはないです。(小さな声で)ありがとうございます。

安倍 ただ、これからひとりの女優として大きくなっていくためには、宝塚時代からのファンが応援してくれるのはもちろんありがたいことですが、新しいお客さまもふやさなくては。女優安蘭けいがどういう舞台と観客を開拓していくか楽しみです。

安蘭 自分も変わっていかなくてはいけないと思いますし、今も実際、少しずつ変わってきつつあるという感覚があります。意識的に、宝塚の在団中とは違う生活をしていますし、お稽古を通して、さらに新しい何かが見えてくればいいなと思っているのですけど。

安倍 自然に見えてくるんじゃないかな。今後、好きなミュージカルや、やってみたい作品はありますか?

安蘭 「エビータ」ですね。

安倍 ああアンドリュー・ロイド・ウェバー作曲の。いい選択ですね。僕も大好きな作品です。曲が粒ぞろいな上、ドラマとしても起伏に富んでいます。

安蘭 曲も大好きなのですが、エヴァ・ペロンの生き様というのに、すごく興味があって。強い女性ですよね。魅力的だなと思いますね。マドンナが主演した映画「エビータ」も、すごく好きなんです。アントニオ・バンデラスが演じたチェの役は、やりたくても、もうできないですけど(笑)。

安倍 チェは誰でやるのがいいか、イメージキャストで考えなくちゃ。

安蘭 安倍先生も一緒に考えてくださいね。

安倍 宝塚の先輩で、女優の生き方として、いいなと思う人は誰でしょう。

安蘭 たとえば、麻実れいさんは、いい作品でいい役を確実にやってらっしゃる。すてきだなと思いますね。

安倍 麻実さんは、舞台に特化して一生懸命やって、花も実もあるいい女優になった。

安蘭 舞台も歌もやるということでは、本当に大スターですが、越路吹雪さんに憧れます。私の目指すものに近いかなという感じで。歌は、やり続けたいと思うので。

安倍 歌といえば、年末にコンサート「UNO」がありますね。内容は考えている最中ですか?

安蘭 はい。打ち合わせを進めています。ベット・ミドラーとか、グロリア・エステファンとかの曲があがっています。題名が「UNO」なので、ちょっとラテン系が入ってますね。そこにフランス・テイストも加えて。ミュージカルコーナーもあって、「レント」の曲を少しやる予定です。「エビータ」の曲は入れられなかったので、この先にとっておきます。

<作品と、いい出会いを>

安蘭 ところで、安倍先生の夢は何ですか?

安倍 突然振ってきましたね。そうだなあ、第二の越路吹雪というかコーちゃんの後継者を作るお手伝いをすることかなあ。ぼくは、高校2年生のとき舞台の越路吹雪と出会って彼女の魅力にとりつかれ、のちに縁あって個人的に親しくなり、リサイタルやミュージカルのお手伝いをしました。曲目や演目の選定とかね。
70年代、日生劇場でたびたび開かれた彼女のリサイタルは、バック・バンドを除くと完全に彼女ひとりなんです。衣装は贅沢なものでしたが、舞台装置はきわめてシンプルでした。満員の観客は、ひたすら彼女の味のある歌とゴージャスな雰囲気に酔い痴れたものでした。
切符はまるまるひと月の長期公演なのに今でいう「即完」でした。
もういっぺん、越路吹雪のような大スターと出会いたい、常々そう思っているのです。安蘭さんはコーちゃんの宝塚の後輩だし、何年にひとり出るか出ないかの大器といわれています。是非、彼女の後継者になって欲しい。先ほど越路に憧れているという話も出たことですし。

安蘭 あわわ、いえいえ。ありがとうございます。

安倍 たとえばブロードウェイ・ミュージカルの中には、女性が主役のものがいっぱいありますから、演じる作品にはこと欠かないでしょう。1人の新しいミュージカルスターの誕生を心待ちにしています。

安蘭 がんばります!

安倍 いやいや、がんばらなくていいんです。安蘭さんは歌、踊り、芝居の三拍子がそろっているところから女優人生をスタートさせるんですから。あとは、いい作品との出会いだけですよ。

(構成・文;田窪桜子)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「アイーダ」公式サイト

 

19:00 | コメント (3)

「日経エンタテインメント」特別増刊“マイケル・ジャクソン メモリアル”にも追悼文の依頼を受け、寄稿しました。
 マイケルが登場し、スターの階段を駆け上がっていった70~80年代は、アメリカ・ポップス史上、どういう時期だったのか、その時代、彼はどういう役割を果たしたのか?
そういう視点で書いた小論です。
 なおこの増刊は、写真、資料ともよく集められたファン必携のハンドブックです。湯川れい子さんの“私が会ったマイケルの素顔”など読みものも満載されています。しかも、ポスターのおまけ付き。680円は安い。

”マイケル・ジャクソン メモリアル”
日経エンタテインメント特別増刊
【夢の饗宴、そして究極のセックス・アピール】

 机のそばに置いている何冊かのアメリカ音楽史年表の類いを広げ、70~80年代のアーティスト、ヒット曲の移り変わりを目で追っていたら、いろいろなことに気づかされた。
 1976年8月16日、エルヴィス・プレスリー急逝。享年42歳。そんなに若かったのか。マイケル・ジャクソンでさえ50歳まで生き永らえたというのに。
 マイケルが一員だったジャクソン・ファイヴがデビューしたのが69年。71年、マイケル独立。やがてエルヴィスをしのぐ超大物スターへの道を歩むことになる。
 同じころ、白人系のオズモンズが、ブラック・ファミリー・グループ、ジャクソン・ファイヴの対抗馬としてもてはやされていた。ここからも人気歌手ダニー・オズモンドが誕生する。音楽の才能に恵まれた家族がヴォーカル・グループを結成し、ソロ歌手を生み出すところなど、お互いに似通っている点が多い。
プレスリーの死と相前後して、米ポップス界に新スターの登場など地殻変動の予兆が起こりつつあったかに見える。
 マイケルをスターに押し上げたことについては、MTVとビデオクリップが大きく関わり合っている。ちなみに、MTVの放送開始は81年8月1日だった。
 アメリカでアーティストや楽曲を世に知らしめるもっとも有効な手段はラジオのヒットチャート番組である。今でもその力は劣えないが、MTVの出現によってラジオのみという仕組みは大幅に崩れることになる。
 マイケルは単なるヴォーカリストではない。きわめて優れたダンサーでもあった。いやダンサーという範囲をはるかにはみ出した希に見る身体的表現者だった。天性のリズム感に乗って披露される神秘的な身ぶりは、目で見なくてはわからない。
 彼の高度な身体能力、そこから滲み出る魔性の魅力を伝える手段として、ビデオクリップに優るものはなかった。ごく短い映像作品とはいえ、マイケルのオーラをより輝かせるために裏で演出家や振付家が知恵の限りを尽くしたにちがいない。

 私は、後楽園球場(現・東京ドーム)での来日公演にも足を運んでいるが、初めてマイケルの大掛かりなコンサートを目の当たりにしたのは、1984年7月8日、米中西部カンザス・シティーのアローヘッド・スタジアムだった。それは照明・音響・映像を駆使した“夢の饗宴”だった。その冒頭、怪獣と闘う騎士に扮したレザー剣を振り回す彼の演技が、今も網膜に焼きついている。
 今から25年前、ということはマイケル25歳、当然、全身に若さとエネルギーが満ちあふれていた。
 当時、アメリカのマスコミが彼に贈ったふたつのフレーズがある。ひとつは「黒いピーターパン」、もうひとつは「両性具有」。前者は永遠の幼児性を、後者は独特のセックス・アピールを直載に云い表わしている。
 それにしてもスター歌手の条件とは、いったい何なのか?歌唱力、容姿端麗などいろいろあるが、それら以上に必要なのは、いかなる種類のものであるにせよ、セックス・アピール以外の何ものでもない。マイケル・ジャクソンを超えるセックス・アピールを持った次なる超スターが登場するのは、いったい、いつの日のことか。

 

00:00 | コメント (1)

 スーパー(超)という冠をいくつつけても足りないスーパースター。急逝したマイケル・ジャクソンの印象をひと口でまとめようとすれば、こういうしかないのではないか。そんな彼にふさわしく各メディアは多くの紙面と時間を割いて、このニュースを伝えました。
 私も読売新聞の依頼で追悼原稿を執筆しました。6月27日付け同紙朝刊社会面に掲載されたその文章を以下にUPします。私の長い文筆生活で文化面、芸能面ではなく、いちばん読者の目に届きやすい社会面に掲載されたのは、初めての体験です。お陰で多くの方々から感想が寄せられました。
 それにしても前回UPした週刊朝日の記事からまる25年。月日のたつのは早いものです。

 スーパースター「栄光と失墜」
 エルビス・プレスリー亡きあと米国が送り出した最大のポップス・スターは、間違いなくマイケル・ジャクソンである。そのマイケルを総括するのに最もふさわしい言葉は“栄光と失墜”だろう。

 栄光を裏付ける数字を列挙する。全米1位に輝いたシングル盤13枚、グラミー賞受賞は13部門、アルバム、シングル、ビデオを世界中で7億5000万枚以上売った。彼の人気を決定づけたアルバム「スリラー」は、全世界で1億枚以上売れたといわれる。

 もちろん歌唱力、ダンス力を含む総合的な表現能力あっての輝かしい成果であった。

とりわけ「スリラー」を歌う時に見られた音楽とダンスの融合は、ファンの視覚と聴覚を限りなく刺激してやまないもので、まさに新しい創造だった。

 「スリラー」で頂点に立ったころ、彼を「新時代のフレッド・アステア」と賞賛する声が起こった。マイケルのパフォーマンスは、アステアの優雅さとは異質だったが、その声は、彼を米国のショービジネスの正統的系譜の中に位置づけようとするメディアの意志の表れだったのかもしれない。

 初めて彼のコンサートを見たのは、1984年7月、カンザスシティーのスタジアムだった。スピーカー120個、照明器材2200個、5階建てのステージにはエレベーターが5台、すべての点で前代未聞の舞台に度胆を抜かれた。その後、世界各国で多くのアーティストがこのやり方を踏襲することになる。スタジアムを利用した大がかりなコンサートの先駆者はマイケルにほかならない。

 最近、「キャデラック・レコード」という米国映画を見た。ブラック・ミュージックがまだ認知されていなかった40年代後半に、いち早くそのジャンルを手掛けた実在のチェス・レコードの物語である。人種差別が横行する中、彼らがブラック・ミュージックを定着させるためにいかに世間と闘い、自らも傷ついたかが描き出されている。

 こうした苦難の闘いの果てにマイケルの栄光もあったというべきだろう。
 「失墜」についてはあえて多くを語るまい。スキャンダルに泥まみれとなった晩年はスーパースターゆえの運命か? エルビス・プレスリーやマリリン・モンローと共通する部分もある。ただ、人種の壁を超える人気を勝ち得たマイケルだからこそ、オバマ大統領が誕生した今の時代、輝きを保ったままでいてほしかった。

 

11:00 | コメント (0)

« 2009年06月 | メイン | 2009年08月 »