気紛れDIARY
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シス・カンパニー製作のおとな向き喜劇『2人の夫とわたしの事情』が開幕しました。
客席に笑いの渦が巻き起こっています。まずは公演に先立ち私が執筆した紹介文をお読みください(コミュニティ・マガジン『コモ・レ・バ』所載)。続けて私の寸評もどうぞ。

ポスターより予想外の展開を期待させる金子國義の宣伝ポスター

 ポスター、ちらしなどの中心にかなり大きなスペースをとって、金子國義の美人画がデザインされている。細面、長くて太めの眉毛と先のとがったあごが人目を引く。目と口唇の蠱惑的なこと。白いイブニングドレスと同色の長い手袋。露出させたやや痩せ型の背中が美しいカーヴを描いている。

 格別異様なのは、そのキュートな美人が髪の毛の上に3匹の大きなオマール蝦をのっけていることだ。まるでオマールが帽子の代わりをしているよう。
 イギリスの大文豪サマセット・モームの『2人の夫とわたしの事情』(原題「Home And Beauty」)というお芝居、金子國義描く美人とオマールの絵、このふたつは、さてどういう関係があるのか?

 この舞台のプロデューサー北村明子さんに尋ねてみたところ、
「わたし、もともと金子國義さんの大ファンなのですが、このお芝居の準備をしているとき、金子さんの画集を眺めていてこの絵に改めて惹かれ、宣伝美術はこれしかないってひらめいたのですよ」
 これしかないってどういう意味?

 このお芝居のヒロインは戦争で愛する夫を亡くした美人妻(松たか子)である。人生をやり直すべく彼女は夫の親友(渡辺徹)と再婚に踏み切ったのだが、そこになんと戦死したはずの夫(段田安則)が戻ってきたから、さあ大変!とんでもない騒動が巻き起こる。

 ところで金子さんの描く美人の頭の上には3匹のオマールがうごめいている。更に〝第三の男〟まで登場するのかな。まあ見てのお楽しみにしよう。

渡辺徹(左)段田安則(中央)松たか子(右)知的刺激に満ちた上質なエンターテインメントの予感

 このお芝居の粗筋から私がすぐに連想したのは、アメリカ映画『ジャック・サマスビー』である。南北戦争を背景にした作品で、戦死したはずの夫(リチャード・ギア)がひょっこり帰ってくる。しかし妻(ジョディ・フォスター)は、無事帰還した夫がほんものでないような気がしてならない……。戦争はさまざまな悲喜劇を生むということである。

 ところで私は、北村さんが主宰するシス・カンパニー企画・製作の舞台は、なにはさて措いても駈けつけることにしている。前売り券を買っておいてもまず損をしたことがない。

 ヘンリック・イプセン『人形の家』、井上ひさし『ロマンス』、清水邦夫『楽屋』など、どちらかというと新劇系の脚本をとり上げることが多いのだが、彼女の手掛ける舞台は、常に知的刺激をあたえてくれるだけにとどまらず、一夜のエンターテインメントとしての満足感もじゅうぶん味わわせてくれるからだ。

 北村さんは、今回と同じメンツの段田主演、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出で『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』をヒットさせた実績がある。期待度はつい上がろうというもの。
 それに戯曲が本邦初演のモーム作ときちゃあ。モームは『人間の絆』などの小説で明らかな通り人間観察の名手である。イギリス人なのにパリ生まれ、しかも幼くして両親を失っている。初め医師になったが、政府の諜報活動に従事したこともある。こういう人物が書いた芝居が人情の機微を描き尽くしていないわけがない。

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段田安則(左)松たか子(右)【思惑違いが呼び起す笑いの渦】

 1919年ロンドン初演というから、ほぼ90年前の喜劇です。なのにカビ臭いところがまったくない。きのう書かれたお芝居といっても通用する。さすが人間洞察の鋭いサマセット・モームの作品だけのことはあると、大いに笑い転げました。
 ひとりの上流階級の美女を巡って最初の夫、二番目の夫、そして現在の男(皆川猿時)が奏でる笑いの四重奏曲です。哄笑、微苦笑などさまざまな笑いを誘わずには措きません。
 ヒロインの身勝手さに大の男たちが振り回される姿に見ているほうは、大いに溜飲を下げるというわけです。とりわけ痩せぎすの段田と大柄の渡辺の対照の妙がおかしかったですよ。
 
 そもそも笑いとはなぜ起こるのか。それぞれの人間の思惑の違いです。立ち場に準じて考え方が変わると、そこから行き違いが生じる。しかもその差をなんとかなくそうとすると、逆効果で傷口が大きく深くなりかねない。当人たちにとってはとんでもないその出来事が、第三者(つまり観客)には堪えられないのです。
 戦争から第一の夫が帰還したとき、妻も第二の夫も、「あなたが戦死したという公報が入ったので結婚した」と口にしてしまえばいいのに、そのタイミングを逸してしまっている。
悪循環が悪循環を呼び、笑いが笑いを増幅させるという仕掛けでしょうか。その仕組みがこの喜劇ではとてもうまく出来上がっているのです。

渡辺徹(左)松たか子(中央)段田安則(右) モームの仕掛けをうまく生かしたケラリーノ・サンドロヴィッチの演出(及び上演台本)が実にそつがない。時々、俳優たちにやらせるオーバーアクションがアクセントを効かせています。私は、この芝居は喜劇(コメディ)よりも笑劇(ファルス)と呼ぶほうがふさわしいと思いました。ファルスには誰もが気軽に楽しめる笑いの舞台という意味合いがあるようですから。

 もっとも、このお芝居、笑い転げて終わりというわけではありません。そこはぴちっと諷刺が効いている。庶民よりも性に放縦な上流階級をやんわり嘲っていると見ました。人前では澄ましているが、上品なつらの皮をひんむけばこの通りとからかっているのでしょう。
 初演時、このファルスをもっとも楽しんだのは上流階級の観客だったにちがいない。したたかなモームですから、舞台の登場人物とともにその観客をも揶揄嘲笑の対象にしていたのかも。

 この芝居は3幕構成になっています。いずれもヒロイン、ヴィクトリアの邸宅内ですが、場面は寝室、客間、キッチンと変わります(美術:二村周作)。今の戯曲だったら2幕構成、場面は一箇所でしょう。90年前のほうが芝居にお金が掛けられたということです。

 ともあれ、笑いに飢えているものの、テレビのお笑いはうんざりという向きは是非ともシアターコクーンへ。

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撮影:谷古宇正彦
画:金子國義

2人の夫とわたしの事情
東京・渋谷Bunkamuraシアターコクーンにて4月17日~5月16日
作:W.サマセット・モーム/演出・上演台本:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/翻訳:徐賀世子/出演:松たか子、段田安則、渡辺徹、新橋耐子、大森博史、皆川猿時、水野あや、池谷のぶえ、西尾まり、皆戸麻衣
料金:S席9,000円、A席7,000円、コクーンシート5,000円
〔住〕渋谷区道玄坂2-24-1
〔問〕03-5423-5906(シス・カンパニー)

 

18:00 | コメント (0)

 例外もないではないが、ブロードウェイの公演は、ストレート・プレイ、ミュージカルを問わず、上演時間2時間半(20分間の休憩を挟み正味2時間10分)と決まっている。巨匠ハロルド・プリンス(演出家、『スウィーニー・トッド』『オペラ座の怪人』)がこういっていた。
 「これくらいが人間の生理の限界なんだよ」と。
 このブロードウェイの常識にのっとれば、観客の拘束時間8時間(うち休憩時間合計1時間半)の芝居というのは、非常識の極みにちがいない。なんと観客は正味6時間半も舞台と対峠しなければならないのだから。
 世の常識を嘲笑うようなこの長尺もの、すなわちシェイクスピア作、蜷川幸雄演出『ヘンリー六世』(訳:松岡和子、構成:河合祥一郎)は、To see or not to see ?

上川隆也(左)、高岡蒼甫(右)私だって自分の年齢を考えて見に行くのをチュウチョしましたよ。ところが芝居が始まったら面白くて面白くて・・・。椅子の上で身をよじるなんてことがいっぺんもなかった。
むしろ、これほど苦痛を伴わない観劇ということのほうがきわめて珍しい体験なのではなかろうか。しかも見終わったあとの昴揚感はひたすら増すばかりで、興奮を醒ますのに苦労したくらいだった。
 
 私はこの一大史劇を全くの予習なしで見た(つまり鵜山仁演出による新国立版は見ていないということ)。内容は結構複雑で、イングランド王の座を争うランカスター家とヨーク家の薔薇戦争あり、英仏間の百年戦争あり、その上、登場人物もヘンリー六世(上川隆也)中心にイギリス、フランスの貴族、庶民が数多く登場し、さまざまにからみ合う。
 私たちが知っている人物はジャンヌ・ダルク(大竹しのぶ)、リチャード(のちのリチャード三世、高岡蒼甫)ぐらいか。
 それなのに、予備知識皆無で見て舞台上の出来事にハラハラドキドキしたり深い感銘を受けたりしたのは、いったいなぜ?

 まず第一、シェイクスピアの原戯曲が優れていること、第二、河合さんの新たな構成台本が誠に巧みでツボを心得たものであったこと、そして第三、なにより蜷川さんの演出が簡にして要を得た上で、力強くかつ繊細であったことなどが挙げられる。端的にいうとシェイクスピア・蜷川連合軍の勝利である。
 
 蜷川さんの視覚的造形がシンプルな美しさにあふれていた。舞台装置(中越司)はさほど高くない階段を配し、白一色だが、それが実に効果的に使われる。しばしば天井から落ちてくる赤銅色のビニール包み?は、戦争の犠牲者たちの肉片か。
 天井からといえば、あるときは赤薔薇が、またあるときは白薔薇が降りそそぐ。前者はヘンリー六世を擁するランカスター家の、後者はヨーク家の象徴である。さらにはフランス皇太子シャルルが登場するときは、フランス王家の紋章の白い百合が降ってくるという趣向もあった。
これらの演出上の工夫が、どれくらい観劇の手助けになったことか。巧みな視覚的効果のなかに演出家の観客への思い遣りを見た。
 
 白一色のステージで絶えず繰り広げられるのは、権力の座を巡る熾烈な争いである。企み、駆け引きから刀を振りかざしての戦いまで、あらゆる人間対人間の闘争が描き出される。上流階級同士の争いで、いつもとばっちりを受け犠牲になるのは庶民だという明確な構図に、演出家の透徹した視点が感じられた。
 人間の業ともいえる憎しみの連鎖を照射している点では、同じ演出家の『ムサシ』(作:井上ひさし)を想起させるものがある。
 そうだ、この芝居には男と女の駈け引きも随所に盛り込まれていて、大いに楽しませてくれる。

池内博之(左)、大竹しのぶ(中央)、
上川隆也(右)
 演出家の工夫だろうか、大竹しのぶがジャンヌ・ダルク、ヘンリー六世の妻マーガレットの二役を演じる。ともに強い女だが、片や農村の娘にして聖女、片やナポリ王の娘で英国王妃、あらゆる点で掛け離れている。前者では可憐な心情が、後者では断固たる意志が滲み出ていた。
 大竹ほど存在感、演技力ともに充実している女優は、日本の演劇界でもそういないのではないか。まぎれもなくトップ女優である。

 ヘンリー六世の上川隆也は、脆さ、弱さ、不甲斐無さをごく自然に表現していた。気張らない柔軟な感性は生来のものだろうか。シェイクスピア劇初出演にしてこの安定した演技力は、今後の大成を保証せずにおかない。
 終幕、ロンドン塔に幽閉され死を待つ孤独な王の姿には思わず惹き込まれるものがあった。
 ベテランふたり吉田鋼太郎(ヨーク他)、瑳川哲朗(グロスター公爵他)のいぶし銀の演技が、どれくらい劇自体の厚味をもたらしたか、計り知れない。

 シェイクスピア史劇が現代社会を映し出す鏡であること、また現代人が胸をわくわくさせる知的エンターテインメントでもあること、このふたつを見事に証明して見せた点で、蜷川版『ヘンリー六世』の功績は計り知れないものがある。

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★埼玉公演 彩の国さいたま芸術劇場 (2010.3.11~4.3)
★大阪公演 シアター・ドラマシティ (2010.4.10~4.17)
写真撮影:渡部孝弘

 

19:00 | コメント (1)

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