気紛れDIARY
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 訃報が伝えられた晩、あるテレビ番組がシャンソン界の大御所という肩書きを奉っていたが、むしろ一字入れ替えて大姐御と呼ぶべきではないか。石井好子のシャンソンは、なにを歌っても、ゆったりとして柄が大きかったからだ。哀しい歌でもその悲哀の情を過度に強調することなく、常にほどよい品格を漂わせていた。

ありし日の石井好子 人間的にもきっぷがよく、世代、職業、人種を超え誰とも親しく付き合った。厳父光次郎氏は衆議院議長まで務めた大物政治家だったのに、それを鼻にかける素ぶりは露ほどもなかった。私は50年以上の交遊があったが、一緒にお酒を飲んでいつも楽しい人だった。

 好んで歌ったシャンソンに「私は私」という題名のものがある。「枯葉」と同じジャック・プレヴェール作詞、ジョセフ・コスマ作曲。「私は私/他の誰とも同じではない/私思うまま自然に気ままに/自分の人生を生きてきた」(アン・あんどう訳詞)。

 気ままではなかったろうが、これぞと思ったことはやり遂げる文字通り“私は私”の人生だった。

「私は私」のジャケット 東京音楽学校(現芸大音楽学部)でドイツ歌曲を学びながら、戦後は食べるために米軍キャンプ回りのジャズ歌手となる。ところが「聞かせてよ愛の言葉」を聞いて、世の中にこんなに美しい歌があったのかとシャンソンに再転向した。しかも本場で修業をとパリを目指したのだから凄い。パリのレヴュー小屋で裸の踊り子たちを従え、堂々、主演歌手を張った時期もある。

 包容力のある人だったから、門下から岸洋子、加藤登紀子らが輩出したのは当然である。

 そしてなにより彼女は名エッセイストでもあった。達意の文章、描く情景がおのずと目に浮んだ。パリ仕込みの食通なので、白ワインのシャブリと生がきの相性について語られても、納得がいったものだ。オムレツの味から芸人たちの恋模様まで、すべてパリの風物はあなたの本で教わったのですよ、好子さん。

(この追悼文は7月27日付け毎日新聞夕刊に掲載されたものです。)

 

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