気紛れDIARY
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森光子、東山紀之が競演、「ツキコの月 そして、タンゴ」の椿事?

2005年10月31日

 

こういう顔合わせをゴールデン・コンビというんでしょうね。役者としての腕、ボックス・オフィス(切符の売上げ)、そのどちらから見ても強力な看板スターが同じ板の上に乗るんですから。多くの人たちが大きなアマルガメーション(異種配合)が起こることを期待したとしても、当然と思われます。
 10月の帝劇公演、森光子、東山紀之が二枚看板の「ツキコの月 そして、タンゴ」のことです。私が見たのは10月21日昼の部。森さんの可愛い女そのものといった風情、東山君の颯爽たる二枚目ぶりを大いにエンジョイしました。で、今までのふたりの競演同様、今回もまた期待したようなプラス・アルファが生まれたか。その辺のことはあとでゆっくり触れることにして。

 

今回の「ツキコの月」で森、東山の舞台での競演は5作品目(公演としては6回目)を数えます。「御いのち」(1994)、「深川しぐれ」(1997)、「春は爛漫」(1995、2003)、「花も嵐も」(1999)を経て「ツキコの月」になったわけです。テレビでも「花迷宮2/上海からきた女」(1991)、「誰かが誰かに恋している」(1996)とか数本あるようです。
 思うに森・東山の顔合わせを考えた人は凄い人としかいいようがない。
 初回の1994年当時、彼と彼女の間にはスター同士とはいえ雲泥の差があった。その状況は今も変わらない。片やキャリアからしても演技力からしても大女優中の大女優、片や超二枚目でダンスの切れ味では彼の右に出るものはいないとしても、森さんの前に出たらひよっ子みたいな存在ですからね。
 それに年齢が開き過ぎている。女優の年齢に触れるのはこの世界ではルール違反ですが、森さんくらいの高みに上った人ならば、違反も許してもらえるでしょう。それに複数の資料(日本映画俳優・女優篇、朝日人物事典、日本芸能人名事典)に名記されているのですから、ま、いいか。1923年生れなんです。一方の東山は1966年生れ。これだけの年齢差のあるスター同士がコンビを組むというのは、まず普通ではあり得ないことでしょう。
 それに、そういっちゃあ東山君になんだが、演技者としての風格が違い過ぎる。第1作目から表面的にはそう見えなかったけれど、彼は内面萎縮していたんじゃないかなぁ。いや、この場合は萎縮ではなく畏縮という言葉のほうがふさわしいかもしれません。
 実は、私はこのゴールデン・コンビを思いつき、それなりに下準備もし、実現にまでこぎついた人が誰であるか、ほぼ見当がついています。こんなあっと驚くようなことが実行できる人は、日本ショウ・ビジネス界広しといえどもたったひとりしかいませんよ。ただし、私だって絶対の確証があるわけではないので、これ以上申しませんが。

この顔合わせが実現したことでいちばん喜んだのはお客様でしょう。予想だにしなかった奇跡が起こったんですからね。と同時にふたりにも大きなプラスがもたらされたんじゃないか。ずばりいって森さんはヒガシから若さとエネルギーの素、若返りの妙薬を手に入れた。ヒガシのほうは稽古、本番を通して芝居とはなにか、演ずるとはどういうことかなど、日々多くの事柄を吸収したに違いありません。ナイーヴな感性の持ち主だけに大地が慈雨を吸い込むように学んだことでしょう。

帝劇の森さんの楽屋にいくと、化粧前にすわった彼女の背中の後ろのほうの鴨居に、可愛くていかにも精巧そうな鳩時計がかかっています。10月24日、私がお邪魔したとき、間がいいことに午後4時を目指して鳴り始めました。いくつもある小窓からは音楽に合わせて人形たちが姿を現すそのひとときのセレモニーの可愛らしいこと、私は思わず見とれてしまいました。音のほうも楽しかった。この時計、ふたりが最初に競演した「御いのち」の記念に、ヒガシがプレゼントしたもので、競演のたびに森さんは楽屋に持ち込んでいるそうです。なんだか仲睦まじくて妬けてくるなぁ。東山紀之さんと楽屋にて

今回のお芝居「ツキコの月」は、新聞雑誌やテレビが散々報道したように、森さんの「あたし月とタンゴが大好きなんです」というひとことを山下達郎、竹内まりや夫妻が耳にして、夫妻が森さんに「月夜のタンゴ」という曲を贈ったところから、すべてが転がり始めました。それをもとに伊集院静さんが小説「ツキコの月」を書き、その小説をもとに森さん、ヒガシ主演を想定した舞台台本「ツキコの月 そしてタンゴ」が作られるーーそういう段階が踏まれたようです。
 伊集院さんの小説が姉と弟という設定になっているところを見ると、小説が執筆される時点で森・東山主演の舞台が折込み済だったとも考えられます。

「ツキコの月」の姉と弟は賀集ツキコと眞一郎、ツキコは女優を目指し、眞一郎はタンゴ・ダンサーを天職と考えています。物語はブエノスアイレス、神戸、東京と太平洋、それも北半球と南半球を股にかけて繰り広げられます。このスケールの大きさは評価されてよい。そしてもちろん、バックに通奏低音のように流れているのは、山下、竹内の主題曲やアルゼンチン・タンゴの名曲です。料理にたとえれば、すばらしい原材料が整えられたといえましょう。

ところで休憩時間、改めてパンフレットを手にとってみてあたりを省みず「ええ、どうして?」と声を上げてしまいました。原作、作詞作曲、演出、製作のクレジットはそれぞれある。というのに台本を誰が書いたのかが明記されていない。随分長い間、私は芝居を見てきましたが、こんなケースに出会ったのは生まれて初めてのことです。珍事というべきか、あるいは椿事というべきか。
 見終わったあと、入ってきた情報によると、確かにある劇作家が台本を書いていた、ところがなんらかの事情でその劇作家が降りてしまった。そのあと演出家が引き継ぎ必死の思いでまとめ上げたノとまぁ、そういうことらしい。初日の公演は10月5日午後1時からでしたが、通し稽古が終わったのはその11時間前の同日午前2時だったなんて噂も耳にしています。
 日本人ってこういうときに馬鹿力を出して開幕に漕ぎつけてしまうんですね。10月30日までの興行は団体もいっぱい入っていてパンパンにはち切れそうだから、初日の延期なんて考えられない。これがブロードウェイやウエスト・エンドだったら、当然延期という処置がとられていたと思います。パンフレット

さて肝心の台本です。書いた人のクレジットのない台本がいいはずがない。名前がないのは最終的に台本を仕上げた人が出来に自信がなかったからでしょう。複数の人が係わり合ったから、ひとりの名前を記すことができなかった?それなら1行でも書いた人まで名前を列記すればいい。

名なしの台本のどこが駄目だったか。まず運命に翻弄される姉と弟という大筋がしっかりと書かれていない。それでいて、いやそれだからこそそうなるんですが、脇の話ばかり膨れ上がっていく。ツキコの所属する劇団葡萄座内のごたごた、いわゆる新劇と浅草オペラの対立、共産主義者とその転向など暗い話が次々出てくるんです。ほかにもヤクザの出入りとか。森さんと東山君ががっぷり四つに組む場面が設けられていないのは、ほんとうに困ったことでした。これではふたりの間に化学反応など生じるはずもないでしょう。
 それから「月夜のタンゴ」という曲がすべての源だったのなら、劇中でもこの音楽がもっと印象的に使われてもよかった。山下、竹内夫妻のプレゼント曲は、森さんが歌ってシングルCDにまでなってヒット・チャートも登場しているくらいなんですから。山下達郎を音楽監督に迎えるぐらいのことをしたってよかった。

森さん、東山君、帝劇公演ほんとうにお疲れさまでした。いや11月、名古屋・中日劇場に引っ越しして、まだ舞台は続くんでよね。台本・演出面で東京のときよりふたりが少しでもやりやすくなっていることを祈っています。最悪の事態を乗り切ったふたりはプロフェッショナル中のプロフェッショナルです。心より敬意を表したいと思います。

★名古屋・中日劇場公演 11月5日〜30日迄
中日劇場ホームページ http://www.chunichi-theatre.com/contents.html

この原稿を書いたあと、森光子さんの文化勲章受賞が発表になりました。森さん、本当におめでとうございます。今回の受賞を巡っては次回くわしく。
 なお、文中で触れた森さんの年齢ですが、文化勲章関連記事によると85歳になっています。すると1923年生まれでなく、21年生まれ?ますますその若さに驚いている次第です。

 

2005年10月31日 16:53

コメント

変なうわさを聞き、大嫌いになりました。

投稿者 とくこ : 2006年09月16日 05:08

とくこさん、どなたを嫌いになられたのですか。

投稿者 失礼します : 2009年11月23日 13:36

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