ABE MUSICAL SCHOOL
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【第35回】『サウンド・オブ・ミュージック』(Ⅲ)
科白からミュージカルナンバーへ
絶妙な呼吸

2012年05月07日

 

Student(以下S) 『サウンド・オブ・ミュージック』のヒロイン、マリアは見習い修道女です。お祈りと讃美歌に明け暮れる日常ですから、職業的に見ても、その生活は音楽と深く結ばれていた。彼女みたいにもともと生活のなかに音楽が鳴っている人物を持って来ると、ミュージカルはとても作りやすい。前回のお話の趣旨はこういうことでした。

 

 安倍(以下A) その通りです。しかし、修道院のなかには守るべき規律があって、いつ歌ってもいいわけではない。更に彼女はザルツブルグ郊外の野山で育った根っからの自然児の面もある。歌が好きな彼女は、歌いたくなったら矢も盾もたまらず歌い出したい性分です。
 修道院長さんからしたら本当に困った子ですが、歌いたくて歌いたくて仕様がない若い娘というのは、ミュージカルの芯に据えるには、これ以上ない持って来いのキャラクターだったのではないでしょうか。

S マリアは、修道院長の命令でフォン・トラップ家の家庭教師として派遣されます。彼女がいつも大切にしているギターを携えて……。ケースに入れて持ち歩いているギターは、マリアが音楽好きだということのシンボルみたいですね。

A 話がちょっと逸れますが、ここで『サウンド・オブ・ミュージック』のそもそものなり立ちをおさらいしておきたいと思います。このミュージカルは、よく知られているようにドイツ映画「菩提樹」がヒントとベースになって作られました。「菩提樹」は、日本で一九五七年に公開された際の邦題名で、原題名は"Die Trappe-Familie" 、ずばり「トラップ一家」でした。

S 更にこの映画にも原作があったのですね。

A "The Story of The Trapp Family Singers"です。翻訳本が「サウンド・オブ・ミュージック」(中込純次訳、三笠書房)で出版されています。絶版ですからネットで捜すしかないでしょうが……。

S 著者は誰なのですか。

A いい質問です。しかし、知らなかったの?
 Maria Augusta von Trapp です。

 S ということはミュージカルのヒロインのマリア自身? 彼女はミュージカルのなかで描かれているように、現実でも雇われ先のトラップ海軍大佐と結婚しトラップ姓となるわけなのですから。

A この原作本によると、トラップ家には専用の音楽室がありヴァイオリンも二挺あったけれど、子どもたちは音楽と無縁だったようです。それを物語るこんなエピソードが書かれている。男の子のひとりがマリアのギターを見つけ弾いてくれとせがみます。いくつかのオーストリア民謡をギター片手に歌い、いっしょに歌おうと誘うのですが、子どもたちはどの歌も知りません。子どもが知っていたのは讃美歌の「聖しこの夜」だけだったというのです。

S マリアがやって来る以前のトラップ家の殺伐とした雰囲気が伝わって来るような気がします。確かミュージカルにもこれとまったく同じようなマリアと子どもたちのやりとりがありました。

 A 第一幕第五場トラップ邸でのマリアと子どもたちとのやりとりです。私の手もとにあるRandom House版のテキスト(一九六〇年)から直接訳してみます。
ブリギッタ (ギター・ケースをとり上げて)なにが入っているの?
マリア 私のギター。
ブリギッタ どうして持ってるの?
マリア みんなで歌うためじゃないの。
マルタ (ブリギッタ、ケースからギターをとり出す)私たち歌えないわ。
マリア 歌えるわよ。誰だって歌える。どんな歌、知ってる?
クルト 僕たち、一曲も知らない。
マリア (ブリギッタからギターをとり上げる)まさか。
全員 ほんとです。
マリア いいわ。さあ、一から始めましょう。私が教えて上げるから(マリア。ギター片手に歌い始める)。

S このミュージカルの極め付けのナンバー「ド・レ・ミ」の導入部ですね。

A マリアの科白に音楽がつき自然に歌になっていくくだりは、絶妙の呼吸というほかない。客席にすわっていても歌い出したくなるでしょう。

S 舞台でも映画でもこの場面に来ると、つい目がうるうるっとなります。

A マリアと子どもたちが最初にいっしょに歌った「聖しこの夜」が、「ド・レ・ミ」にとって代わったわけです。オスカー・ハマースタインⅡ世(作詞)とリチャード・ロジャース(作曲)の創造力が生み出した奇跡のナンバーといったら、少し大げさかな。

S 作り話ではなく、マリアはどこに行くのにもギターといっしょだったのですね。


 A 例のマリア自身の手になる原作本によると、彼女は国立ウィーン高等師範学校を卒業しているのですが、在学中にアルバイトをして最初に買ったのがこのギターだという。修道院を追われるようにして去り、トラップ家に向うとき、彼女が持っていたのはギターのほかには二十冊ほどの本だったそうです。家庭教師になるために生まれて来たような人ですよね。

S 実物のマリアが、ギターと縁のない、音楽好きでもない女性だったら、『サウンド・オブ・ミュージック』は誕生しなかった可能性大ですね。

A ところでマリア・A・トラップ自らがペンをとった原作本ですが、私たちが知っているミュージカルとは異る点がいくつかあります。まず原作本の三分の二以上を占めているのは、一家がアメリカに渡り、異国に住み、プロフェッショナルな合唱団としてやっていく苦労話です。つまり、マリアが修道院を辞め、トラップ家の主婦となり、一家がオーストリアから逃れるまでの物語は三分の一しかないということです。
 しかも、マリアや子どもたちが、ロンドン港からニューヨーク行きの船に乗るときに、六週間前、チロルの山越えをしたことなど考えられないと語るだけで、ミュージカルのクライマックスになっているあの脱出行のくわしい記述は見当たらないのです。

S 原作とそれを題材にしたミュージカルとではどこがどう違うのか、それを知ることはミュージカルの楽しみのひとつであるように思えます。そのためにも原作の翻訳書を読んでみたいですね。

A 原作にしかない興味深いエピソードも出て来ますよ。トラップ大佐とマリアがミュンヘンを訪れたとき、美術館内のレストランでヒトラー総統を見掛ける場面とかね。
 「薄い頭髪は額にたれ、両腕は空中を泳ぎ、あの世にも名高いちょび髯はふるえ、(中略)少し粗野な、あまりよく教育されていない男と見えた」
 と書いています。
 反ナチズムは、『サウンド・オブ・ミュージック』のなかに通奏低音のように聴こえて来る主題のひとつだけに、見逃せない一節です。

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撮影:阿部章仁

劇団四季会報誌「ラ・アルプ」4月号より
劇団四季公式サイト

 

2012年05月07日 11:57

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