ABE MUSICAL SCHOOL
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【第42回】『ジーザス・クライスト= スーパースター』(Ⅱ)
すべては45回転シングル盤から始まった

2012年11月13日

 

安倍(以下A) 前回、『ジーザス・クライスト=スーパースター』ブロードウェイ初演のおり、ユダを演じたベン・ヴェリーンの話題を持ち出しました。ことし七月、彼のライヴというか、ショウを見たものですから。

 

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Student (以下S)はい、早速ネットで調べたところ、ニューヨークのSTUDIO54 BELOWという小さなクラブでおこなわれたようですね。

A 一杯やりながら見られるんです。キャパシティは百四十席ぐらいかな。こういう場所、あるいはこの手の場所でおこなわれるショウはキャバレエと呼ばれています。日本のキャバレエと違いホステスさんはいませんが……。

S 基本的にワンマン・ショウですか?

A 六十分から八十分くらいのステージで、主演者以外はバック・バンドのみ。司会進行も自身でおこないます。出演者はブロードウェイの舞台を踏んでいる人たちですから、持ち歌はいっぱいある。舞台をほうふつさせるように歌ってくれます。
 歌もさることながら、曲と曲との間のお喋りが興味深い。これまでのキャリアの上での体験談、つまり楽屋ネタが多いかな。

S ヴェリーンの場合は当然『ジーザス』ネタが飛び出して来る。

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A そう、こんな話をしてましたね。あるとき彼のもとに一枚のLPが届けられた。そのLPがそっくり舞台化されることになったんだけれど、ユダの役でオーディションを受けないかって……。で、出向いたら若僧がいて、それがロイド=ウェバーって奴でさあ、とか。体験に裏打ちされているから、話に真実味があるんです。
「もっとも、今時の若いのはレコードなんていったって見たことはないだろうな。今晩のお客様は年配者のようなので、ご存知でしょうが……」というのが、この話の落ちで場内大爆笑でした。
 確かにダウンロード全盛のご時勢だもの。

S 『ジーザス』のすべてはレコードから始まったというエピソードは、前回、登場したメーキング本の「燃えあがるロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』の創造」(音楽之友社)にもくわしく紹介されています。


A ミュージカルにオリジナル・キャスト盤は付きものです。しかし、『ジーザス』の場合はその種のものとはまったく異ります。上演のめどなどまったくついていないうちから、主題曲が作られ45回転盤で売り出された。一本のミュージカルとして最少必要なナンバーが作詞作曲されLPになるのは、その後のことでした。
 世に新しいミュージカルを送り出す方法としてはその端緒からして型破りだったわけです。

S 最初の45転盤、つまりシングル盤ですよね。それにはなにが収録されたのですか。

A という質問が出るところを見ると、皆さんはベン・ヴェリーンがからかったような若者ではなく、ちゃんとレコードの存在を知っているということですね。
 まずA面はユダとコーラスによる「スーパースター」、そしてB面はインストゥルメンタルの「ヨハネによる福音書第十九章第四十一節」だったのです。
 英米での発売は一九六九年十二月第一週のこと。レーベルはデッカでした。

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S 「スーパースター」の歌詞はかなり皮肉のきいた視点でイエス・キリストを描いていると思います。そもそもキリストをスーパースター呼ばわりすることからして相当な揶揄じゃないでしょうか。

A 歌詞の一部を直訳してみます。
「どうしてあなたは大昔のへんてこな土地を選ばれたのでしょう/今だったら世界中に影響を及ぼせたのに/紀元前四年のイスラエルにはマスコミもなかったし/気を悪くしないでください、私は知りたいだけなのです」
 街に「ジングル・ベル」や「ホワイト・クリスマス」があふれているシーズンに、それこそこんなへんてこな歌詞の新曲を出したって、人々が振り向くはずがない。それともクリスマス・シーズンに一石を投じるというか、ひとつ引っ掻き回してやれという意図がレコード会社にあったのかな。

S 「燃え上がるロック・オペラ」によると、英国では「ほとんど関心を示されず」、米国でも「予想したほどうまく行かなかった」ため、ロイド=ウェバーもティム・ライスも大いに失望したとあります。
 発売時の全米ヒットチャートだと八十位くらい。大都市圏に限られたけれど、ラジオ局がそこそこかけてくれたので、翌七〇年五月までで約十万枚売れたようです。

A 世間の耳目を集める華麗なヒットとはならなかったものの、少なくともアメリカではまったく無反応ではなかった。それだからこそ徐々にミュージカルとしての全貌が見えるようなLPを作ろうという気運が芽生えて来たわけです。

S そもそも作詞のティム・ライス、作曲のアンドリュー・ロイド=ウェバーは、新作ミュージカルを創作するに当たって、なぜレコード制作から始めようとしたのでしょう。

A そういえばその重要なポイントが抜けていました。
 最大の理由は資金面にあったと思われます。新作ミュージカルを立ち上げる初期投資にくらべたら、レコード制作費はさほどお金がかからない。劇場での上演にはプロデューサーだ、投資家だと捜しまくらなければならないけれど、レコードだったら、どこかレーベルをくどき落せば、あとは話は割合楽に進むでしょうからね。
 一九六九年というと、四四年生まれのライス二十四~五歳、四八年生まれのロイド=ウェバー二十~二十一歳でしょう。ふたりの実績といえば、前年に書かれた『ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート』しかない。これとて高校の学芸会用のもので、十五分ほどの短尺です。
 そんな素人同然の若僧が本格上演を望んだとしても、誰が相手にしてくれるでしょう。

S それにしてもふたりはよくレコード化のチャンスをつかみましたね。

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A 詞、曲に斬新さがあった。それを見抜く相手がレーベルにいたことが大きい。
 しかし、もっともプラスに働いたのはロック旋風という時代背景でしょう。それが追い風になったことを見逃してはなりません。
 一九六二年、ビートルズがレコード・デビューしメガヒットとなって以来、あらゆるレーベルが新進ロック・グループ捜しに躍起になっていた。その網に引っ掛かったというか掬ってもらったというか。
 ふたりはロック・グループを組んだわけではない。しかしロック・オペラを作るという触れ込みが効いたのです。
 それとちょうど六九年五月にはザ・フーのアルバム『トミー』が登場し、ロックとオペラの融合性が証明されたところでした。ロックによってひとつの物語を紡ぎ出す可能性が示されたわけです。
 ミュージカルにも新しい時代が訪れかけていたということですよ。

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ジーザス=芝 清道、シモン=本城裕二
撮影=上原タカシ
劇団四季会報誌「ラ・アルプ」11月号より
劇団四季公式サイト

 

2012年11月13日 12:27

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