ABE MUSICAL SCHOOL
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【第43回】『ジーザス・クライスト=スーパースター』(Ⅲ)ティム・ライスの歌詞に宿るボブ・ディランの影

2012年12月13日

 

Student (以下S)ロック・オペラ『ジーザス・クライスト=スーパースター』は、激しくビートを効かせたアップ・テンポの曲から優しく訴え掛けて来るバラッドまで、粒ぞろいのナンバーが並んでいます。生意気なことをいわせていただきますが、ロイド=ウェバーもティム・ライスも若書きとは思えない充実した仕事ぶりです。
 しかし、舞台を見たり曲を聴いたりする以前に目を惹くのは、題名のインパクトではないでしょうか。

 

_TUX0031.jpg安倍(以下A) 神の子イエス・キリストをスーパースター呼ばわりするあたり、相当、奇妙奇天烈だものね。
 確かにイエスを知らない人は世界中にいないでしょう。その意味では間違いなくスーパースターです。でも世にいうところのスーパースターは、どんなスーパースターであれ人間であることに変わりはない。つまり、イエスといえどもそう呼ばれた瞬間、神の子ではなくなってしまう。この題名にはそういう痛烈な皮肉が込められている。名は体を表すではないけれど、これほど作品の言いたいことを直截に伝えるミュージカルの題名は、ちょっと見当たらないように思えます。
S このすばらしい題名を考えついたのは誰でしょうか。作詞家のティム・ライスですか。舞台化される前に発売されたシングル盤のA面が「スーパースター」だったようですし。
A アンドリュー・ロイド=ウェバーの評伝のひとつ、Michael Coveney 『CATS ON A CHANDELIA』のなかにとても興味深いくだりを見つけました。
 ライスがこの題名を思いついたについてはひとつヒントがあったらしい。それは音楽雑誌「ザ・メロディー・メーカー」に載っていたトム・ジョーンズの写真についていた説明文です。'Tom Jones, the World's Number One Superstar' という一文を目にしてぴーんと来たらしい。
 もうひとつ、ライスがイエスは全能の神の子であったかどうか、すなわちスーパースターであったかどうかについて考えるに当たって、ボブ・ディランの歌詞から刺激を受けたようです。先ほどの本には曲名なしのまま次のような歌詞が引用されています。
 'I can't think for you, you'll have to decide, did Judas Iscariot have God on his side?'
_TUX1417.jpg
S 私たち世代にとっては、あの時代をオン・タイムで体験しているわけではないのでよくわからないのですが、ポップスの人気者トム・ジョーンズとメッセージ性の強いロック歌手ディランという取り合わせが、大変興味深く思えます。

A 若い時からライスはポピュラー音楽に対して幅広く旺盛な好奇心を持っていたということでしょう。
 実をいうと、私はディランには勉強不足でとても弱いのです。ここで引用されている歌の題名も全体の内容も知らなかったのですが、ようやく突き止めました。題名は「With God On Our Side(神が味方)」、一九六三年作です。レコード・デビュウが六二年ですから、ごく初期の作品のひとつで、旋律にはロックよりカントリー&ウエスタンの色合いが強く感じられます(Coveneyさんの引用はかならずしも正確ではないが、そのままにしておく)。

S 全篇を通じて何が歌われているのですか? イエスの生涯なのですか?

A いえ、いえ。曲調こそのんびりしたカントリー調ですが、歌詞にはアメリカという国、その歴史への痛烈な批判が書き連ねられている。
_TUZ0075.jpg原住民との戦い以来、米西戦争、南北戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦……とずっと神はアメリカに味方して来た、次の対ロシア戦でも神は味方してくれる、だからとんずらを決め込もうと皮肉たっぷりに歌い継いでいきます。対ソ戦争が飛び出して来るあたり、いかにも冷戦時代のプロテスト・ソングです。
 往々にしてディランの歌は一曲がとても長い。二〇一二年リリースの最新盤『テンペスト』の表題曲は、例のタイタニック号を題材にしたものですが、四十五番まであって十五分もかかる。
「神が味方」はそれほど長くはありませんが、全九番、五分二十秒の長尺です。

S そのなかでキリスト、ユダが出て来るのは?

A 九番のうちの最後からふたつ目のたった一番だけ、八行ほどです。つたない私の訳で紹介します。
 あまたの暗い時間
 私はこのことを考えて来た
 イエス・キリストが
 接吻により裏切られたことを
 しかし私は考えつきかねる
 君たち自分で判断してくれ
 イスカリオテのユダ側に
 神が味方したのかどうか
 …………
 ディランの歌詞はなかなか意味深長です。全能の神はかならずしもイエスに味方したわけではない、なぜかという疑いの目を向けているわけです。といって神はユダを支持したのでもない。ディランは微妙な三角関係に興味を抱いたのだと思います。

S 確かにこのディランの歌詞と『ジーザス』の間には一脈通じるものがありそうですね。

A ライスが何日も何日もこの歌詞とにらめっこし続け、『ジーザス』の想を練ったという〝伝説〟にある種の信憑性を嗅ぎとらずにいられないのです。

_TUZ0389.jpgS 『ジーザス』とジョン・レノンとの間にも接点があったという話もあります。例のメイキング本『燃え上がるロック・オペラ』に出て来るのですけれど……。

A 一九六九年春、ライス、ロイド=ウェバーとレコード会社のMCAとの間に契約の話が煮詰まっていたころ、デイリー・エクスプレスやイヴニング・ニュースなどロンドンの大衆紙が、無責任な噂を書き立てたらしい。レノンがイエス・キリストの役を依頼されたとか、そのレノンはヨーコ・オノにマグダラのマリアを演じさせたがっているとか、作詞家作曲家側はレノンでは個性が強過ぎふさわしくないと思っているとか、ロック隆盛期ならではのかまびすしいゴシップが飛び交ったようです。

S あの時代のレノンは風貌的にはイエスにぴったりだったように見受けられますし。
 ところでロイド=ウェバーですが、ロックとは相性がよかったのでしょうか。

A 『ジーザス』でロック・オペラという看板を掲げたものの、彼は本質的にはロック・ミュージシャンではありません。その後、次々に発表した作品を一望すれば明らかです。
『ウィスル・ダウン・ザ・ウィンド』で作詞にロック系のジム・スタインマンを起用したこともありますが、好結果は得られませんでした。
 しかし、彼は、イエス・キリストの最後の七日間を新しい視点からミュージカル化するに当たって、ロックが音楽的にきわめて有効な手段だということは理解していたにちがいありません。
 ロックの本質は、政治、経済、社会、芸術、文化、宗教あらゆるものに備わった権威と秩序を破壊することにある。イエスの既成イメージをぶち壊すという作品の目的とこれ以上合致する音楽なんて、他に考えられないでしょうから。

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撮影:上原タカシ

劇団四季会報誌「ラ・アルプ」12月号より
劇団四季公式サイト

 

2012年12月13日 17:49

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